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コジキジゲン

和銅五年は如何、銅・同・胴・動・・・ナマリの清清

2013-07-10 14:25:58 | 古事記字源
 イヤァ~ッ、参ったな・・・書き込んだものを「保存」しようとしたら「消えた」・・・ナニをかきこんだのか・・・?・・・ボケで思い出せない・・・家に舞い込んだ「一匹のハエさん」のハナシ・・・人懐っこいのか、友達になりたいのか「蝿」君は・・・ニャンコと同じく擦り寄ってくる。思い出した・・・「古事記」と「日本書紀」の「はえいろね」・・・ナゼ、漢字の「蝿(蠅)」が使用されているんだか・・・「万葉仮名」で記録しなかったんだか・・・「日本語」で「はえ」の「音」を採っただけとは思えない、「ハエ」なら・・・「羽回」か「羽重」、あるは「葉柄」、「葉枝」だろう・・・漢字音の「蝿・蠅」の「ヨウ」が「必要(ヒツヨウ)」で「用事(ヨウジ)」、「用字(ヨウジ)」で「用いた」だったのだ・・・?・・・「五月蝿い=うるさい」かな、「十月ばえ」は「神無月」の「アキ景色」・・・「七月ばえ」は「漆(うるし)ばえ」の「文月、暴文月」で、「夕映え」は七夕様の「酉の刻」で「ピンク色」・・・
ーーー↓

 「はえ」の「日本語?」

 蝿(はえ・ヨウ)・・・虫+亀→中+ム+亀

          高橋虫麻呂→浦島太郎+亀

                名化+横島

 蠅(はえ・金蠅・銀蠅)・・・横浜銀ばえ?

               横須賀金ばえ?

 生え(うまれる・誕生)

 這え(はらばい・腹ばう・歩伏・匍匐)

 映え(うつる・夕映え)

 栄え(さかえる・いやさか・繁栄)

 ハイ・・・「はえ」は「ハイ」とも

 ・・・以下は「漢字」の「訓」から・・・

 配(くばる)

 胚(はらむ)

 輩(やから)

 吠(ほえる)

 拝(おがむ)

 稗(ひえ)

 牌(麻雀のイタ)

 背(せ)

 排(のける)

 琲(珈琲・蘭豆)

 俳(まわす)

 敗(まける)

 杯(たかつき)

 盃(おちょこ)

 廃(すてる)

 灰(ちり)

 肺(月+市→肉+市)

 ↓

 肺結核・肺病→ほととぎす=不如帰

 ↓

 肺活量→呼吸器・息・意気→海女=白水郎

 「白水」

 中国の地名で「水に潜(もぐ)る」ことの

 「巧(たくみ)」で、

 「上手(じょうず)」、

 「旨(うまい)」

 者がいたと云うところから

 「魚を捕まえる職業の人=蜑・漁業者・漁師・漁船員・漁船乗組員・漁父・やん衆・漁夫・漁民」

 あま=海人・海女・海部・海士

    奄・亜麻・甘

    天・尼

 「天海祐希(1967・丁未年八・丁未-丁乙己(傷官格?・従児?・破?)月八・甲辰日)」・・・?・・・「ゆりチャン」ですか・・・「女王の教室」・・・

ーー↓白水(しらみず・しろみず・ハクスイ)の滝

 白水の滝(大分県竹田市荻町陽目~熊本県阿蘇郡高森町)

 にわたる場所にある滝

 白水滝の吊橋(熊本県球磨郡水上村)

 阿蘇山系の

 伏流水が

 岩盤から

 湧き水となって、

 幾筋もの

 白糸のような

 滝(瀧)となって

 見える位置場所

 白水の滝(群馬県多野郡神流町)

 神流川支流にかかる滝

 白水滝(岐阜県大野郡白川村の大白水谷)

 庄川水系大白川に属する滝

 白水の滝(岡山県美作市白水石堂)

 白水の滝(群馬県多野郡神流町魚尾)

 等など・・・「アマの瀧」・・・「海士の瀧」・・・鳴滝塾・・・蘭学者・・・シーボルト(置維波斯徳利)・・・

ーー↓白水

 中国大陸の地名

 白水

  ↓

 南北朝時代

 北魏が華北を統一した

 439年~

 隋が統一する

 589年まで、

 中国の南北に王朝が並立していた時期

 華南には宋、斉、梁、陳の

 四つの王朝が興亡

  ↓

 白水県(東魏) 廃止(北斉)

 白水県(江蘇省淮安市の

     過去(カコ)に存在・・・かこ=水主

     現在の

     盱眙県西部に相当)

  懸

ーー↓かこ=水主・加古

 水主町(かこまち)

  ↓

 「水主衆(加子衆:水夫のこと)が集住する町」

 町名変更により「加古町」と表記する場合がある

 水主町

 大分県中津市の町名。

 香川県綾歌郡宇多津町の町名。

 岐阜県岐阜市の町名。

 佐賀県唐津市の町名。

 長崎県大村市の町名。

 愛知県名古屋市中村区の旧町名

 (現在の名駅南付近)

 御水主町民家

 (宮城県宮城郡松島町の指定文化財)

 加古町

 広島県広島市中区の町名

 (旧町名「水主町」を変更)

 富山県富山市の町名

ーー↓蛇足

 ・・・日本財閥の基礎を成した「幕末明治」の「事業家」にはそれぞれ「理念」があったが・・・結局「一族郎党、日本支配階級の閨閥、血縁の走狗」となった、だった・・・文明開化・・・

 「泉屋←白+水」=「水+白→沓屋」

ーー↓住友財閥←白水会

 始祖=住友忠重の子、頼定は、足利義晴に仕えた

 頼定の子→定信の子→定重は今川義忠(今川義元の祖父)に仕えるが、定重の子→信定は、今川氏が滅んで、摂津の中川清秀に仕え、入江土佐守と称し、中川十六騎の一人として知られたが、尾崎の陣で戦死。信定の子→政俊は、越前国の柴田氏に仕え、若狭守と称し越前丸岡城主で、柴田勝家と共に北庄城で滅んだ。政俊の子→長行は、徳川家康の子で結城家へ養子入りした結城秀康に用いられた・・・?・・・

 長行の二男、

 住友小次郎政友

ーー↓

 家祖=住友小次郎政友が

 養子とした

 蘇我理兵衛(住友友以)の

 「泉屋(銅商)」

ーー↑↓

 業祖=住友政友の檀家であった

 蘇我理兵衛の父

 蘇我理右衛門は

 住友政友が開業した

 「富士屋(書籍・医薬品)」の番頭

 ・・・ナゼ、ここで「蘇我氏」が出てくるんだか・・・?・・・意味字句も、イト、おかし、あやしい・・・

ーー↓白水←白水会

 南蛮吹き

 精銅

 蘇我理右衛門が、

 1591年、

 泉州堺浦に来た

 明国人の

 白水から「南蛮吹き」と称される

 粗銅から銀を分離する精錬法を学んだ

 日本では、粗銅の金や銀を分離する精錬技術が未知

 精錬方法の技術を秘伝とし

 この「南蛮吹き」で、

 住友家は粗銅から銀を抽出することで

 膨大な利益を上げた

 ・・・「白水」は「南蛮吹き=精錬銅工」の「明国人」の名前であった・・・

ーー

 「南蛮吹き」は「南蛮絞り(しぼり)」とも言い粗銅に含まれる銀や不純物を「鉛(なまり)」を使って取り除く精錬法。銀を含んだ粗銅と鉛を溶融し急冷して作った合金を加熱し、銅の融点以下で溶け出た含銀鉛を灰の上で加熱すると鉛は灰に吸収され、最後に銀だけが残る。

ーー

 灰吹法(はいふきほう)は、金や銀を鉱石などからいったん「鉛(なまり)」に溶け込ませ、さらにそこから金や銀を抽出する方法。金銀を鉛ではなく水銀に溶け込ませる「アマルガム法」と並んで古来から行われてきた技術で、旧約聖書にも記述・・・

 ・・・兎にも角にも・・・「ナマリ媒体」の錬金術である・・・

 1701年

 銅座が設立

 全国の銅山から荒銅が大坂銅吹屋に集積された・・・

ーー

 コトバの「訛(なまり)」は清廉(精錬)されたのか・・・

ーーーーー

 枕草子

 (七四段)・・・七拾四段・七十四段・漆足肆段

         7+4=11=十一=壱拾壱=壱足壱

         7×4=28=二十八=弐拾捌=弐足捌=念捌

 忍びたる

 所に

 ありては、

 夏

 こそ

 をかしけれ。

 いみじく

 短き

 夜の

 明け

 ぬるに、

 つゆ

 寝ず

 なりぬ。

 やがて

 よろづの

 所

 あけながら

 あれば、

 涼しく

 見え

 わたされる、

 なほ

 今

 すこし

 言ふべき

 ことの

 あれば、

 かたみに

 答

 など

 する

 ほどに、

 ただ

 居たる

 上より、

 烏の

 高く

 鳴きて

 行く

 こそ、

 顕正

 なる

 ここち

 して、

 をかしけれ。

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 ・・・

コメント
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