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コジキジゲン

明月記・・・月を明らかにする基

2013-07-17 15:48:53 | 古事記字源
 藤原定家が「明月記」に記載した「超新星爆発の解明・京大・2013.7.15 11:19」のニュースですか・・・「千年の時空を超え、新しい事実が分かったことにロマンを感じる」・・・「チームは超新星の残骸をスザク(すざく)で観測。爆発で飛散した鉄や硫黄、珪(ケイ)素などの元素が一方向に偏って広がっていることをスザク(すざく)を手段にして確認した」・・・
 「宇宙の膨張が加速しているとするノーベル物理学賞を受賞した研究成果の根拠の一つ」・・・「鉄(金+失)や硫黄(イオウ)、珪(ケイ・王+圭→桂)素などの元素」が「一方向に偏って広がっている」ことがナゼ「宇宙の膨張が加速」しているんコトになるんだか?・・・「宇宙は膨張と収縮」の繰り返し・・・「膨張の枠」が「風船ゴム」の様にあるのか?・・・宇宙全体は「コンニャク(蒟蒻)」状の「スベテ=ゼロ=有=存在=全部」で、その「全部の中」での「曲り」の出来事だろう・・・
 「全部」の「ワクは無い」のである?・・・思想、哲学としての存在のハテは「人間の頭のワクの限界」である・・・「どのよう存在しているか(存在物のアリ方)」は理解されていくだろうが、「ナゼ存在しているのか?(存在そのモノの存在)」は「能味噌の限界」である。先ずは「存在」が前提である・・・
 ・・・「藤原定家」は当時生まれていなかった・・・が、「明月記」には「過去の天文現象」として「非常に明るく見慣れない星があった」と記載・・・している?・・・

ー↓藤原定家・・・ボクの「家頁」です↓・・・ヒマならどうぞ・・・

http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/fanin/pura2/uta.htm

ーー↓

 ボクの問題はナゼ、「明月記(めいげつき)」と「記録」されたのか?である・・・夜間晴れ間の「満月」は明るいのはアタリマエである。「暗(クラ)く」なるのは「月食=太陽→地球→月」の位置関係になる時である。そして「満月(旧暦八月の十五夜の月)」は「名月」と一般的には言われるか、記録される・・・「有明の月」とは「陰暦十六日以後、夜が明けかけても、空に残っている月」であるが、「とはずがたり」の「十四歳で後深草院の寵姫となった二条の日記」で、「御室の仁和寺の門跡の「有明の月」という「阿闍梨(男)」との激しく切なき契り・・・に引ッ掛(掻)けたのカモ・・・?

 ・・・では、なく・・・
 「山縣有朋(天保九年閏四月二十二日(1838年6月14日)~大正十一年(1922年二月一日)・幼名は辰之助・狂介・奇兵隊」・・・「朋=月+月」・・・
 そして
 「森 有礼(森有禮・幼名は助五郎・通称、金之丞)・弘化四年七月十三日(1847年8月23日)~明治二十二年(1889年二月十二日)」、暗殺・・・「明六社」会長・初代「文部大臣」・・・これは、「新暦(西暦)」と「旧暦」の「月の「関係」を「明らかにせよ」との示唆・・・である・・・「衛星の月」では無く、日記記載の「年月日の記録」の「月」である・・・当然、「その月の干支サイクル(六十干支・」である・・・
 そして「天文学者」が知りたかったのは「一年間の月の位置の記録」である・・・(60干支)÷12ヶ月=5・・・五年に一度、同じ干支が繰り返される・・・「30×2干支納音(ナッチン・ノウオン)」の循環の「納音」の漢字は「音(おと)」を「納(おさめる)」である・・・「占い」では本来「生年の二干支」だが「六十干支」の「甲子干支」と「乙丑干支」を「二個の干支」として「一まとめ」にしたモノに「名前」を付けたモノである・・・すなわち、「奇数干・奇数支」と「偶数干・偶数支」をまとめて「30のサイクル」に「三文字(二文字+五行の一文字)漢字の名前を付したモノ」で、「五行」を主軸に「±木=(+甲-乙)」、「±火=(+丙-丁)」、「±土=(+戊-己)」、「±金=(+庚-辛)」、「±水=(+壬-癸)」をまとめたモノである。
 ・・・何時の時代から知らないがコレを「月日時間」にも当てて判断する「占い」もある・・・コレは「日本製」だろう・・・「有名人」の「履歴」を知りたい、あるいは本人の「非合理性=心理」としては「出世、不出世の勝敗」には「憑きモノ」である・・・から・・・

 時刻は「干支」が「十二支」の「十二刻」、「一刻」は「二時間」であるが、その日の「日干支」によって時刻の「干」は異なってくる。

ーーーーーー↓納音名      ↓二干支

 海中・金(かいちゅう・きん) 「甲子・乙丑」

 爐中・火(ろちゅう・か)   「丙寅・丁卯」

 大林・木(たいりん・ぼく)  「戊辰・己巳」

 路傍・土(ろぼう・ど)    「庚午・辛未」

 釼鋒・金(じんぼう・きん)  「壬申・癸酉」

ーー↓

 山頭・火(さんとう・か)   「甲戌・乙亥」

 澗下・水(かんか・すい)   「丙子・丁丑」

 城頭・土(じょうとう・ど)  「戊寅・己卯」

 白鑞・金(はくろう・きん)  「庚辰・辛巳」

 楊柳・木(ようりゅう・ぼく) 「壬午・癸未」

ーー↓

 井泉・水(せいせん・すい)  「甲申・乙酉」

 屋上・土(おくじょう・ど)  「丙戌・丁亥」

 霹靂・火(へきれき・か)   「戊子・己丑」

 松柏・木(しょうはく・ぼく) 「庚寅・辛卯」

 長流・水(ちょうりゅう・すい)「壬辰・癸巳」

ーー↓

 沙中・金(さちゅう・きん)  「甲午・乙未」

 山下・火(さんげ・か)    「丙申・丁酉」

 平地・木(へいち・ぼく)   「戊戌・己亥」

 壁上・土(へきじょう・ど)  「庚子・辛丑」

 金箔・金(きんぱく・きん)  「壬寅・癸卯」

ーー↓

 覆燈・火(ふくとう・か)   「甲辰・乙巳」

 天河・水(てんが・すい)   「丙午・丁未」

 大駅・土(たいえき・ど)   「戊申・己酉」

 釵釧・金(さいせん・きん)  「庚戌・辛亥」

 桑柘・木(そうしゃく・もく) 「壬子・癸丑」

ーー↓

 大溪・水(だいけい・すい)  「甲寅・乙卯」

 沙中・土(さちゅう・ど)   「丙辰・丁巳」

 天上・火(てんじょう・か)  「戊午・己未」

 柘榴・木(ざくろ・ぼく)   「庚申・辛酉」

 大海・水(たいかい・すい)  「壬戌・癸亥」

ーー

 「納音」の各々の漢字の意味は「字面と同義、同理」だが、「納音」は「音」を「納める」であるから「音そのモノの同音の異義」の示唆である。そもそも「納音(ナッチン)」の「納」とは「納豆(なっとう)・納得(ナットク)・納屋(なや)」の同音である。

ーー↓納音→能生オン・・・「オン」のスベテの漢字を納める

 大海・水(たいかい・すい)  「壬戌・癸亥」

 「大海・水=たいかい・すい)

       他意改  諏意→おほあま・みず

  大海人(海士・海女・海部・亜麻・尼・甘・天)

    水(壬癸)

    みず→視事(頭・図・豆・逗・厨)

    ↓

    みづ=御津・美津

    みつ

    ↓

    三津=密・蜜

       褌(ふんどし=憤怒詞)

    ↓

    水戸」

ーー↓

 ・・・「奉納」は「ホウノウ」、「納付」は「ノウフ」、「納税」は「ノウゼイ」と云う・・・「NO  taxes (タックス)」である・・・「タツ=断つ、絶つ」の「クス=楠・玖珠(屑・葛)・樟」の「九図」だろう・・・「九相図(九想図、くそうず)」・・・見たくないね・・・「この絵」は「近衛」だし・・・「人道不浄相図」は「小野小町の末路の絵」だし・・・「小野妹子」は「蘇因高→素因考」である・・・

ーー↓小野と云えば・・・サッカー(蹴鞠・蹴球)・・・

 「小野道風」とは・・・「花札の絵柄」・・・藤原定家が撰んだ「百人一首(加留多・歌留多)の和歌」・・・「花札」も「百人一首」も江戸時代のアソビである・・・「花札の絵柄」に小野道風が採用されたのは明治時代かららしい・・・

 「柳と蛙」を視て発奮、努力した人物?・・・「カエルの努力」である・・・この逸話は江戸時代中期の浄瑠璃「小野道風青柳硯(おののとうふうあおやぎすずり・宝暦四年〈1754年初演)」・・・寛延三年(1750年)九月の随筆「梅園叢書・(三浦梅園著)」にこの話が記されている・・・らしいが、「梅園叢書」の刊行は安政二年(1855年)のこと・・・出版元も帳尻あわせが大変だったろう・・・

 第二次世界大戦以前の

 国定教科書にこの逸話が載せられた・・・

 ・・・「努力とガンバレ」は「アベ」だろう・・・博打の花札、オイチョカブ・・・でナニがノコルのか・・・

ーー

 0=ブタ(又はドボン)

 1=ピン(又はチンケ・イッカチ・インケツ)

 2=ニゾウ(又はニタコ)

 3=サンタ(又はサンタコ)

 4=ヨツヤ(又はシスケ・シホウ・シケ

       ヨンタ・シス・シスン・シニ)

 5=ゴケ

 6=六法(又はロッポ)

 7=シチケン(又はナキ)

 8=オイチョ(又はヤイチョ・ハッポウ・チョウベ)

 9=カブ

 「おいちょかぶ」

 8と9(オイチョ+カブ)の組み合わせ

 「8」の「オイチョ」は

 ポルトガル(葡萄牙)語の

 「8(oito)=オイト」に由来

 「9」の「カブ」の語源は不明

 「株・歌舞・蕪・下部・掛部」の「賭け」だろう・・・

 ・・・江戸時代には「かう」とも呼ばれたならば、「買う・乞う・子生・請う」の「交・考・項・行」・・・「コウ」の同音漢字のスベテだろう・・・

ーー↓小野道風

 「とうふう」は「有職読み」

 「源氏物語」では、道風の書を評して

 「今風で美しく目にまばゆく見える・源氏物語・絵合の巻」

 「空海筆の額を批判・古今著聞集」

 「美福門(額字)は田広し、

  朱雀門(額字)は米雀門、

  大極殿(額字)は火極殿」と批判した

  これって・・・「文字の批判」か?、「額縁の批判」?

  六十五歳ぐらいから目が悪くなり、

  六十七歳ぐらいの頃には

  言語が不自由

  その頃の道風の文字を

 「道風のふるい筆」といっている・・・「振るい」?・・・「馬事東風」・・・「博打」に嵌(は・填)まったら他人の忠告、諌めはなんのその・・・勝負は時のウンだって?・・・「万字当風」・・・「クレイィジィ」・・・繰れ意異字・・・は「漢字馬鹿」で、「痴漢」・・・漢和辞典もスゴイねッ・・・「痴漢」の説明に「婦女子に悪ふざけをする男・オンナ(音名)とコドモ(拠賭摸)に悪戯するオトコ(音拠)」だから・・・「大修館漢和辞典」・・・ネコはニャァかミャァ・・・尾張名古屋弁・・・本居宣長・・・拠怒母である・・・「観音様・妙音様」も「福音書」もナンのソノ・・・「婦人科・小児科」・・・挙句の果てには「魚町」、「鈴屋大人(すずのやのうし)」、淡きり「ウイロ(外郎)」じゃなく、小児「あめ(飴)薬」製造販売で大儲け・・・ゴメン・・・彼本人への「人格批判」ではありません・・・

ーー↓小野道風

 切手・・・京の四季(京都府)

 傘を差している

 小野道風が

 柳に跳びつこうとする

 四肢を広げた形

 (*・*=アスタリスク・アステリスク・asterisk

  約物の一つ、

  六本の放射線

  原語は小さい星・古代ギリシア語の字形

  日本語でも星号・星印・スター・アスタ?

  Ж・ж=ジェ・ジはロシア弟八文字、字形?

  水の漢文字の形?)

 の

 カエルの挙動を眺めている

 背景の書に

 「玉泉帖」が描かれている

 「玉泉帖」とは

 「白氏文集」の

 詩を道風が書いた

 「巻子本(かんすぼん・けんすぼん・巻物、掛軸)」で、

 巻首が

 「玉泉南澗花奇怪」の

 句で始まる

 楷行、草行、「真行草(真・行・草)」、

 書体の類型書きを取り混ぜ、

 各文字を大小肥痩に変化させた書

ーー  

 「小野道風の誕生伝説」

 ・・・南北朝時代の書の「麒麟抄」・・・「塩尻(天野信景著)」などに「記録」、「文化十二年に尾張藩の学者、秦鼎の撰文・小野朝臣遺跡碑(十八世紀末)」には、「春日井市」で道風生誕が信じられていた・・・?・・・オワリの「秦鼎」とは何者か?・・・唐風・当風・党風・東風・・・「豆腐」・・・マメが腐った・・・豆腐、納豆、油揚げ・・・甘納豆・・・

 「小野 道風(おの の みちかぜ・とうふう・ドウフウ)

  寛平六年(894年)

   ~

  康保三年十二月二十七日(957年2月9日)

  道風の書

  「野跡」と呼ばれ、

  「藤原佐理」の

  「佐跡」

  「藤原行成」の

  「権跡」とともに

  「三跡」と称される

  あと=跡・址・迹・安登・痕・彡・後・・・語・誤・呉・・・暮れ・・・夕方・夜中・晩方・・・

ーー

 で、

 「天文学」は「天体」を「分度器」で観測し、かつ「経緯度」を測る「地理学」でもある・・・「伊能忠敬・高橋景保」・・・そして当然にも「航海」する時の「知識」である・・・「三浦按針」・・・「日本帝国海軍」・・・海、ゆかば・・・末路は溺死・・・ 

ーーー↓ー↑・・参照、参考の原文は「ウイッキペデア」・・・

 「明月記・(めいげつき)」

 「藤原定家の日記」

 治承四年(1180年)

   ~

 嘉禎元年(1235年)

 五十六年間・・・・・・・山本五十六

 別名

 「照光記」・「定家卿記」。

 「明月記」の名は後世の名称で

 定家自身が命名したものではナイ

 本人自身は

 「愚記」と読んでいた

 そして、当時の人は

 「中納言・入道殿・日記」の称を用い

 一般的通称には

 「定家卿記」の名称が用いられていた・・・らしい・・

 「南北朝」の頃から

 「明月記」の名称が用いられるようになった、らしい

 ・・・とされる・・・

 「広橋家」記録によれば

 「二条良基」の説として

 「毎月抄」

 定家が

 住吉明神参拝の際に神託によって作成した

 「明月記」がこの日記であるとの考えが記されている

 ・・・らしい・・・

 「定家自筆原本」の大部分は

 「冷泉家・時雨亭・文庫」に蔵書され

 「明月記・原本」の一部は

 早くから流出し、

 「断簡(ダンカン)」、

 「掛け軸(ジク)」などとして

 諸家に分蔵

 「漢文」で記録

 通説では

 現存本などを元に

 五十六年間の記録とされているが、

 定家の子

 為家の譲状には

 「自治承~至仁治」とされており、

 定家が死去する

 仁治二年(1241年)頃まで書かれていた

 可能性もある・・・らしい・・・

 「定家自身の体験に基づいていない記録」も含まれる

 「客星・古現・例」

 「天喜二年(1054年)四月中旬の

  蟹(かに)星雲の・・・かに座=サインは「69」

 超新星爆発は、

 定家誕生以前の出来事であるが

 伝え聞いた内容として記載

 「安倍晴明の一族」が

 正確に星の観察」しており、

 ヨーロッパには全く「その記録」はなかった・・・らしい・・・

ーーー↓

 後冷泉院

 天喜二年四月中旬

 以後の

 丑の時

 客星・・・・・・彗星・ほうき星・・・法規・蜂起・放棄

            箒・帚・宝器

            伯耆(ホウキ)→伯爵が老いる日?

            伯耆=鳥取→出雲←島根

 觜・参の度に出づ

 東方に見(あら)わる。

 天関星に孛(はい)す。・・・「孛(ハイ・ボツ)」

             「孛」=「十+冖+一+了」

                   ↓

                 十のワの初めと終り

                 五十五・五拾五・伍足伍

 大きさ

 歳星の如し(原文読み下し)

ーーー↓

 一条院

 寛弘三年四月二日(1006年5月1日)

 狼(おおかみ)座の超新星残骸

   大御神

 「SN 1006」の超新星爆発

 高倉院

 治承五年六月二五日(1181年8月7日)

 「SN 1181」の超新星爆発

 ひとつの文献に

 3つの記録が残っている

 定家の子

 為家が譲状を作成(文永十年七月二十四日・1273年9月6日)

 「明月記」を

 「一身のたからとも思候也、子も孫も見んと申も候ハす、うちすてゝ候へハ」と述べて

 庶子の

 「冷泉為相」に譲っている・・・公には「価値」が無かった?

 明月記(冷泉家時雨亭文庫蔵)五十八巻一幅

 付録は補写本一巻、旧表紙集一巻

 建久三年(1192年)

  ~

 天福元年(1233年)に至る二十五年分

 五十六巻が断続的に残る。

 他に、

 建久九年十二月十日

 (1199年1月8日)の

 賀茂

 臨時

 祭記一巻

 年次不明の

 断簡一巻

 正治二年十月二十七日

 (1200年12月5日)条の

 断簡一幅

 五味文彦は

 「花園天皇宸記

  ・正中二年十二月三十日

  (1326年2月3日)」条に

 「定家卿記」を読んだ事を記録

 「園太暦

  ・貞和二年閏九月六日

  (1346年10月21日)条に

 「定家卿記」からの引用

 この時期に広く読まれたと説く。

 一方、

 松薗斉は反対に当時広く読まれた日記であればもっと多くの公家の記録や日記などに先例として引用されている筈であると指摘し、むしろ引用例の少なさが「明月記」が秘蔵されて

 一部の人の目にしか触れていなかったことを示すとしている。

 八代国治や五味文彦の研究によって、

 「吾妻鏡」の

 建暦年間前後

 かつ

 三善康信関係記事における

 「吾妻鏡」と

 「明月記」の

 記事が

 似ていることを指摘

 これは「吾妻鏡」の編纂に関わった

 三善氏関係者が鎌倉幕府との

 つながりが深く

 晩年を

 鎌倉で過ごした

 冷泉為相から

 提供を受けたと考えられている・・・らしい・・・

 ・・・ダレかがセッティングしてくれる「北枕」の最期の敷き布団の上で寝れればサイワイである・・・かな・・・

ーーー↓

 枕草子

 (八一段)・・・八拾壱段・八十一段・捌足壱段

         8+1=9=九=玖

         8×1=8=八=捌

 あぢき

 なきもの

 わざと

 思ひ

 たちて

 宮仕に

 出で

 立ち

 たる

 人の、

 ものう

 がりて

 うるさげに

 思ひたる。

 人

 にも

 いはれ、

 むづか

 しき

 事も

 あれば、

 いか

 でか

 まかで

 なん

 と

 いふ

 言草を

 して、

 出でて

 親を

 うらめし

 ければ、

 また

 參り

 なんと

 いふ

 よ。

 養子の

 顏

 にく

 さげ

 なる。

 しぶしぶに

 思ひ

 たる

 人を

 忍びて

 壻に

 とりて、

 思ふ

 さま

 ならずと

 なげく人。

ーーーーー

 ・・・

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