万葉浪漫紀行 | ||||||||||
この蒲生野を舞台にした“妹背”の物語や歌が数多く伝わっています。 仲でも有名はのは額田王(ぬかたのおおきみ)と大海人皇子(おおあまのおうじ)との相聞歌ではないでしょうか。 あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る (額田王) 紫草の にほえる妹を 憎くあらば 人妻ゆえに われ恋ひめやも (大海人皇子) これは六六八年五月五日、天智天皇ら一行が、蒲生野へ薬草狩りにでかけたとき、二人が酒宴の席で交わした歌です。 「あなたが人妻の私にそんなに袖を振って、野の番人はみとがめないでしょうか」という額田王に対して、「美しいあなたのことをもし憎かったならば、人妻なのにどうして私が恋しく思うものか」と皇子は返しています。 こんな歌を大勢の前で詠み合うなんて、ちょっと考えられないような気がしますが、古代の恋はおおらかだったのでしょう。 大人同士の親しみと愛の語らいは一同から喝采を浴びました。 この歌には、座興的にうたい交わしたらしい口調の中に、かつて心を通わせ合った男女の愛が感じられる気がします。だからこそこれほど長い間人々に謳われてきたのではないでしょうか。 |
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龍王寺ホームページ
小野時兼(おののときかね)という侍のもとへ、有る日、美しい女性が妻にしてくれと現れます。 二人はとても幸せに暮らしていましたが、その三年後「私は平木(八日市)の沢の主です。あなたに恋い焦がれてここまでやってきましたが、やはり帰らなくてはなりません。私に会いたければ百日後に平木の池に来て下さい」と言い、形見に玉手箱を渡して姿を消してしまいます。 時兼(ときかね)は寂しさに耐えかねて九十九日目に会いに行くと、妻は大きな蛇の姿になって現れました。彼が驚いて家に帰り、玉手箱を開けると、そこから大きな鐘が出てきました。時兼はこの鐘を龍王寺に寄進したということです。この鐘にまつわる歌は数多く、代表的なものとして 暮れにきと 告ぐるぞ待たで 降りはるる 雪野の寺の 入相いの鐘 和泉式部 鐘暗き 野寺の松の 木陰より 山ほととぎす 声ど落ちくる 柿本人麻呂 昨日観し 花のあたりに 夜は更けて 野寺の鐘の 声ぞ聞こゆる 藤原定家 |
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「蒲生野の しめのの原の 女郎花 野寺に見するも いもが袖なり」 と、妻に対する思いを歌ったものもあります。 おだやかな気候と風土が息づく蒲生野は、人の心に愛を育んだり、呼び起こしたりする不思議な力を持っているのかもしれません。 |