城郭探訪

yamaziro

○探訪「近江水の宝」邦楽器糸の里琴糸の里を歩く

2012年06月23日 | 探訪「近江水の宝」

探訪「近江水の宝」邦楽器糸の里琴糸の里を歩く

琴や三味線などの邦楽器で使う糸の原糸となる生糸を生産する「琴糸の里」(長浜市木之本町)を歩きます。あわせて賤ヶ岳砦跡の見学も行います。チラシはこちら

日時:平成24年6月23日(土) 1班 9:30~15:00 2班 10:30~16:00
    ※JR木之本駅東口集合 各班とも開始時刻までに集合・受付

行程:JR木之本駅→丸三ハシモト株式会社(糸製造)→JR木之本駅→(七本鎗バス)→糸取り工房→(リフト)→賤ヶ岳砦(昼食)→大音まちあるき(伊香具神社の独古水など)→(七本鎗バス)→戦国大河きのもと館→木之本まちあるき(冨田酒造・浄信寺など)→JR木之本駅 歩行距離約3.5km

定員:各班25名(計50名 事前申込 先着順)が、74名+スタッフ8名

実費負担:①参加費100円 ※受付時に徴収します。
       ②長浜戦国大河ふるさと博きのもとセット券(七本鎗バス・賤ヶ岳リフト・戦国大河きのもと館料金)大人1000円、小中学生500円             

※受付時に参加者が個別にお買い求めいただきます。

持ち物:弁当・水筒・健康保険証・タオル・ウォーキングできる服装など

 探訪「近江水の宝」邦楽器糸の里琴糸の里を歩く20120623

探訪「近江水の宝」邦楽器糸の里琴糸の里を歩く2

丸三ハシモト株式会社(糸製造)→

七本槍 

この賤ヶ岳の合戦で活躍した、秀吉恩顧の武将が「賤ヶ岳七本槍」

福島左衛門大夫正則
脇坂中務少輔安治
加藤左馬助嘉明
片桐東市正且元
加藤肥後守清正
平野遠江守長泰
糟屋助右衛門武則

 

 
実際は、他にも同様の活躍で恩賞を受けた者が居たが、今川義元と織田信秀が戦った時の「小豆坂七本槍」の故事に因み、語呂も良かったので「賤ヶ岳七本槍」と呼ばれるようになった。秀吉は卑賤の身から立身出世し、先祖代々の家臣がいないため、この子飼いの武将達の活躍を宣伝することで、自分の名声を高めようとした。

糸取り工房→   

琴糸の里『大音』をぶらり歩き     由緒

上古、当地が未開の湖沼地であった頃、祭神が来て開拓し、その後子孫を守護するために鎮座したといい(『近江輿地志略』)、天武天皇の白鳳10年以前に子孫である伊香宿祢豊厚が社殿を建立したという(『神社由緒記』)。

貞観元年(859年)に従五位上勲八等から従四位下に昇叙され、同8年には従四位上に昇り、延喜の制で名神大社に列した。社伝によれば、寛平7年(895年)に菅原道真が法華経や金光明経を手写して納め、同時に「正一位勳一等大社大明神金剛覚印菩薩」の勅額が下賜されたという[4]

その後足利尊氏200石の社領を寄せて正月、5月、9月の各18日に祈祷を行うよう依頼し、浅井氏も庇護を加えたが、賤ヶ岳の戦いの兵火に罹って社殿、古記録を焼失、社領も没収された。

明治8年(1875年)郷社に列し、同32年県社に昇格、同40年には神饌幣帛料供進神社に指定された。

     

   

 

  

 

 

 HPより

 

  

本日の歩数 11,379歩 1時間56分 7.9km
消費カロリー 215.8kcal 脂肪消費量 30.8g

大音(おおと)館 近江国 2012.06.23

2012年06月23日 | 館跡

イメージ 5 

「旧家・大音軍治」宅があります。ここは大音唯一の武家屋敷であり、祖先は賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉軍の武将として仕え果敢な活躍をしたと伝えられています。江戸時代には柳ケ瀬の関所の奉行を務めた、とあります。

所在地:長浜市木之本町大音   (旧伊香郡木之本町) マップ:http://yahoo.jp/JTlfKv 

区 分:居 館(末裔の大音氏個人宅) 

築城者:大音氏

形  式 : 平山城(標高146m)

遺  構 : 竪堀、土塁、説明駒札

築 期:中世(細分不明) 

訪城日 : 2012.06.23

資 料: 城郭分布調査1、地図番号3-1。『日本城郭大系』11。 

イメージ 6 イメージ 8襖絵
  
イメージ 14

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 主殿(とのも)屋敷
糸取り資料保存館もかねている。 糸つむぎの実演もしてもらえる。
 

大音集落

木之本町大音(おおと)は琵琶湖最北部から賤ケ岳を隔てた東側に位置する。賤ケ岳の登山口があり、観光リフトが頂上に通じている。
賤ケ岳は天正11年(1583)豊臣秀吉と柴田勝家との間で行われた合戦の場ともなった所で、七本槍の活躍で知られる所。
稲作主体の農業であったが、大音糸で有名。

賤ケ岳麓の大音、西山地区は古くから養蚕が盛んであった地の利を生かして、繭の糸取りが行われてきた。そのため、「琴糸の里」
「糸引きの里」と呼ばれて来た。
上質の生糸の製造には、熟練した伝統技術とともに、賤ケ岳の麓から湧き出る清浄な水によるところも

このあたりの情景を水上勉が小説『湖の琴』に書いています。この小説は、若狭より出稼ぎに来ていた卯吉とさくの悲しくも美しい恋の物語で、小説の中で旅館源八に設定されている旅館が、この資料保存館の奥にある料理旅館「想古亭源内」です。
イメージ 1
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
イメージ 2
 
 
 大日如来堂・・・かってこの谷間に浄明寺という真言宗のお寺があり、このお寺を中心に村造りがされていました。
しかし、天正11年の賤 ヶ岳の合戦により、ことごとく消滅してしまいました。
かろうじて戦火を免れた大日如来像が祀られています。このお堂が建っているところは、かっての浄明寺の山門のあったところです。
イメージ 3
 
 
 旧家・大音軍治宅・・・大音集落唯一の武家屋敷です。祖先は、賤ヶ岳の合戦で、羽柴秀吉軍の武将として仕え、果敢な活躍をしたと伝わります。屋根にトタンが被せてあるのが少々残念ですが、それでも武家屋敷の佇まいが偲ばれます。
 地名から姓がつけられたのでしょうか、それとも姓から地名がつけられたのでしょうか。
イメージ 4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日も訪問、ありがとうございました。