鳥居平城★★★★長大な城。現地城郭学習会 図面資料A4のP12。
講師:長谷川博美氏(元滋賀県中世城郭分布調査員、蒲生郡、神崎郡、城郭調査員)
所在地:蒲生郡日野町鳥居平 map:http://yahoo.jp/dPTXcm
別 名 :蒲生氏(城守 蒲生氏の臣吉倉氏(寺倉氏?)
築 城 :室町時代
初城主:寺倉氏
区 分 :平山城
遺 構 :土塁・空堀・竪堀・堀切
訪城日:2014.3.31 標高:220m~230m 比高20~30m 面 積 : 800m×最大150m
駐車:鳥居平集落の城山登り口駐車場を利用
集落の鳥居平
鳥居平城は比高20~30mの急峻な丘陵地に築かれた平山城(丘陵城)であるが、大規模なと普請(縄張り図=滋賀県中世城郭分布調査)、および遺構の保存状態では、近江の城郭の中でも屈指のものである。
城郭は小さな丘陵地をめいっぱいに使い、東西の長さは800mに及び、山中の遺構は400~500年経過しているにもかかわらず、その縄張りが中途半端でないことが伺いしれる。
尾根上に一辺が20m~40mの方形の曲輪を東西一列に配し、曲輪と曲輪の間には山肌を垂直に切り落とした箱堀状の堀切、あるいは薬研堀を入れ、バリエーションに富んでいる上、土塁で形成した虎口を巧みに使い、堀切に導き入れるなど技巧的な面も窺える。
なお、鳥居平城からは北約1.5kmの長寸城、北東約1.5kmの佐久良城、東約700mに四ツ谷城(昭和40年代の牧野造成で貴重な城郭遺構が消滅)など、小倉氏の城砦を遠望することができる。
歴 史
奥津保の鳥居平城は大字鳥居平の東に連なる丘陵尾根上にあって、戦国期に築かれた山城の遺構が東西800mにわたって、ほぼ原形のままで残されている。
鳥居平城に関しての文献史料は少なく、史跡全体は中世の築城様式特有の土塁をめぐらす曲輪が十ヶ所以上あり、峻険な堀切が数ヶ所に設けられ、広大な城であったことが窺える。
この城の城主は寺倉氏(寺倉氏は蒲生氏の支流)であったと伝えられているが、歴史的な経過などは不明である。
しかし、桜谷を支配した清和源氏の末裔・小倉氏が、鳥居平城の築城に関わっていたであろうとが推察される。
なお、小倉氏は承暦年代(1077~1080)に小倉景実が愛知郡小椋庄に小倉城を築いたのを初めとして、愛知・神崎・蒲生三郡の東部に勢力を伸ばした。
・・・・滋賀県蒲生郡志(大正十一年五月) 三八一頁 「鳥居平城跡」
東桜谷村大字鳥居平の山上に在り土人城山を称す吉倉氏の城…伝承がある。後略(講師:長谷川氏解釈、「吉倉氏=寺倉氏の誤記カ」)
【鳥居平城見学ルート図 GPS計測】 総距離:1.9km 総時間:2時間
近江ノ国_米ちゃんより
2の郭の土塁(切岸)は比差10m、幅20越える堀切
公園化された、2の郭の西側には土塁が!
土塁の向こうは比差10m、幅20越える堀切mを。次の3の郭へと続く。
鳥居平城の場合、主要な曲輪の独立性が保たれているのが特徴といえる。
先回 公園化後城郭 探訪 【鳥居平城 近江国】 2013.4.1
長寸城下 桜谷小学校から(遠景)
佐久良城から(遠景)
滋賀県中世城郭分布調査より
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、蒲生郡志、淡海の城 他
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