お城の歴史
所在地:蒲生郡日野町佐久良 map:http://yahoo.jp/VFi-UQ
別 名:上の城山
築城期:鎌倉時代初頭
初城主:小倉三河守実澄
区 分:山城
遺 構:土塁,石積み,竪堀
標 高:269m 比高差:約150m
目標地:桜谷小学校
駐車場:桜谷小学校
訪城日:2014.3.31
お城の歴史
桜谷小学校の校舎裏手に山道があり、そこから登ります。
尾根まで登る間、大きな沢とも竪堀とも思える箇所に沿って登り、尾根に到達しましたら、左手方向に尾根伝いに進みますと城址に至ります。
視界の利かない山道を歩いて主郭跡に到達すると、ぽっかりと空が見えると感じます。
北側の櫓台跡付近にある石垣、他の小倉氏の城に見られるものではありませんし、戦国時代改修か疑問。
櫓台は古墳を利用したもの、この石積みが城にも利用されたんでしょう。 また、北側斜面・西側斜面には畝状竪堀・竪土塁がある。
長寸城は日野町佐久良の桜小学校の背後の小高い丘に築城されている。桜谷小学校裏のコンクリートの階段から登ると、すぐに山道に変わり、右手に大きな竪堀が山道と平行して走り、竪堀と山道との間には曲輪跡らしき削平地がいくつか見られる。
20分程度で山頂に着く、ここが主曲輪で入口には土塁の虎口が設けられている。
また虎口を右手のなだらかな斜面に竪堀が1本掘られ、、緩斜面を伝って直接本丸跡へ取り付く敵が意識されている。
主曲輪は虎口右手の土塁を最高として、からなだらかに傾斜しており、一段低くなった曲輪奥に石積みが残っている。
石積みは崩れ完全な形ではないが、長さ10m余り、高さは1m程度であろうか。
なお、麓の仲明寺は小倉氏の菩提寺で、小倉実澄・実重・実隆三代の墓だと伝えられる宝篋印塔がある。
お城の歴史
桜谷を領した小倉氏の佐久良城(下の城山)に対して詰の城として別名「上の城山」と呼ばれます。築城年代・築城者は不明ですが至福年間(1384~1386年)頃の築城。
佐久良城は、小倉氏の居館本城であり、長寸城を上の城山・詰め城。
永禄7年3月九居瀬(現永源寺町)に居を構える小倉右近太夫と、佐久良城を本拠とする小倉実隆(実澄の孫・実重が早世したため、蒲生定秀の三男にして賢秀の弟を養子)の間で和南で戦いが始まり、実隆が戦死。この戦いで永源寺も焼失した。
奥津保(愛知郡・蒲生郡辺り)の城を手にした小倉右近太夫を撃つため、兵を進めた蒲生氏は小倉氏との戦いに勝利し、以後この一帯を領内に編入していくことになる。
同時に佐久良城,長寸城を初めとする小倉氏の城郭は廃城となる。
近江ノ国_米ちゃん
寸城見学ルート図 GPS計測】
総距離:1.45km 総時間:1時間10分
下山の小学校手前の【獣害柵】・・・奇岩!
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、蒲生郡志 他
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