城郭探訪

yamaziro

内貴川田殿屋敷 近江国(甲賀・水口)

2014年04月23日 | 館跡

 内貴川田殿屋敷は、川田山南麓にある竹藪に土塁と空堀の遺構が残っている。 この遺構が殿屋敷で、ほぼ50m四方の単郭居館であったと推定される。

 東側の尾山には畑地となって遺構消滅したが内貴川田山城があり、この殿屋敷が平素の居館で詰の城が内貴川田山城であろうと考えられる。

 内貴川田殿屋敷は、築城年代は定かでないが内貴氏によって築かれた。 内貴氏の居館と考えられている館。

所在地滋賀県甲賀市水口町北内貴 map:http://yahoo.jp/wf42Np

遺 構:土塁、空堀

形 式:居館

築城者:内貴氏

訪城日:2014.4.23

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市誌(甲賀の城)、淡海の城

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虫生野(むしょうの)堂の前城 近江国(甲賀・水口)

2014年04月23日 | 平山城

 

 

住所 :甲賀市水口町虫生野字堂ノ前  map:http://yahoo.jp/PQqCGh

現在の状態 :山林

遺構 :曲輪・土塁・堀切・案内板

形式 :丘城 比高15m

別名 :虫生野城

築城者 :望月氏か

訪城日:2014.4.23

 
 

虫生野堂の前城は、水口町虫生野のうち堂の前集落背後にあり、「虫生野城」とも呼ばれている。集落東側の丘陵部は北西に突出し、北方を見下ろせる絶好の位置に築かれていた。

縄張は南北約80m×東西約40mの甲賀では典型的な単郭方形であるが、自然地形を生かしたためか西隅には角がなく、南東土塁は他よりも高くなっている。
虎口は南西辺に開口し(a)、城道は案内板の建つところから登り坂になり、虎口西側の土塁が張り出しているため、直角に折れて城内に入るようになっている。また虎口両側の土塁は幅が広く、侵入者を攻める(横矢構造)想定がなされている。

曲輪内は未整備の不足か破竹が激しく、撮影が困難であるが、土塁は綺麗に整備され一周できる。
北西辺の土塁にも開口部があるが、幅が狭く虎口というよりは排水口だと思われる。
土塁北東隅の外側には小丘がある。これは掘り切られたCの残丘と考えられ、その西側には狭い削平地が確保され、わずかな土塁bが築かれていた。

虎口というよりは排水口と思われる。

詳細不明。

貴生川町誌に、「虫生野に望月某の屋敷跡あり…」と記されており、屋敷跡の所在地は不明だが、虫生野堂の前城も望月氏に関連する城である可能性がある。

 

遠望・・・西から

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市誌(甲賀の城)、淡海の城、貴生川誌

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北虫生野(きたむしょうの)城 近江国(甲賀・水口)

2014年04月23日 | 丘陵城

浄福寺 

住所 :甲賀市水口町虫生野字加久戸・山添

 南城:http://yahoo.jp/OBUKyi 北城:http://yahoo.jp/VnrXKT

現 状:山林

遺  構:曲輪・土塁・横堀・井戸跡

区分:丘陵城 

標高:190m 比高差:約30m

築城期:-

築城者:-

訪城日:2014.4.23

  北虫生野城は、内貴の南方に接する北虫生野集落の東背後に位置する。谷間を隔てて南北それぞれの尾根筋に縄張の技法がやや異なる2つの城が存在するが、両城ともに比高約20mの丘陵上先端に集落を見下ろすように築かれている。

集落は山際ぎりぎりに密集しているが、その中程の高台に浄福寺があり、寺内を通り抜けて更に山中へ向かう山道を進むと、まもなく北側の斜面が途切れるところで回り込むと北城Ⅰの虎口が現れる。

虎口へ向かう途中は雛壇状に削平されており、その北端は横堀で北麓からの侵入を防ぐ格好となっている。虎口に建つと、北城の全容を見下ろすことができる。太く高い土塁は圧巻である。
虎口からすぐ内部には入城に邪魔な位置に井戸跡がある。侵入を遮る落とし穴なのだろうか。

北城へ

 北城は地形に合わせて少し歪ではあるが、基本的には単郭方形プランと言える。だが最も侵入に備えるべき西山麓側が切岸のみと不自然である。これは後世の破壊による改変があったと考えたい。南北の土塁が西端で途切れる付近で、曲輪に段差が設けられているが、ここに虎口のような通路aがある。また南側の土塁は幅広となっており、他城でもよく見られる虎口上の防御施設の構えで、もしかするとこの段差のラインに土塁は存在したのかも知れない。

主郭への虎口の横矢土塁

左側が城道・・・・北側からの遠景

南城へ

 東虎口

 南城は、浄福寺境内南東斜面の墓地を通り抜け、登りきると城域に入る。曲輪Ⅳは最高所だが、ほぼ自然地形のままで物見台程度の機能であろう。
南方尾根筋を進むと削平地ⅡⅢとなるが、Ⅱは削平不十分、2つを区切る切岸も低くほぼ無いに等しい。Ⅲには井戸か水溜めのような窪みがある。

Ⅲを過ぎると次の削平地にはL字形の土塁cと、山麓へ向かうL字形の堀切道bが確認できる。しかし土塁cの意図がよく判らない。武者隠し程度にしか機能しないように見える。
築城半ばで頓挫してしまったのだろうか。

このように北城と南城では隣り合っていながら性格が異なっている。類似例としては湖南市の丸岡城⇔東丸岡城、甲賀町上野の冨田山城⇔観音堂城などが挙げられる。

 

西からの遠景北城(遠景)南城(遠景)

駐車位置

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市誌(甲賀の城)、淡海の城

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