第1024話. イエスとエッセネ派に関する小話⑤ スディー的視点からみる(1)神の名?多神?12戒?(2)モーセ他

2024-10-20 23:37:25 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

昼はますます短くなって5時で真っ暗だけど、気温は30度になったり、今日は冷たい風が吹いたりと、夏と秋の最期のせめぎ合いって感じで、不安定な天気ですが、ここから本格的な秋が来て、そしてアッと言う間に冬になるのかも知れません。

世間では、カマラがFOXでもやらかして自爆ともいえるインタビューを受けてトランプさんには有利な展開があったり、大谷君はリーグチャンピオンまだ未決着ですが、さあ、今後どうなりますかね。

さて、今回は、再びエッセネ派をやります。

大事なイエスにまつわる話はもうしたので、これからは、枝葉的な、小話を幾つか。

●スディー的視点からみる(1) 神の名?多神?12戒?

スディーによると、彼らの神の呼び方『ヤーウェ』とは、『名無し』と言う意味なのだそう。また、時には『エロヒム』『エロリ』『アバ(天なる父』と呼ぶこともあるようです。基本的に同じ意味だそうで、全て”神”を指すようです。が、厳密には、神が宇宙を創造したとき天空にいた神々の総称が『エロヒム』または『エロリ』であり、彼らユダヤの民を護る神の名が『ヤーウェ』と言う一人の神なのだそうです。よって、神々は多数いる事は知っているし認めるが、彼らユダヤの民にとっては『ヤーウェ』こそが唯一の神で全て、となるようです。スディー曰く、神々は時に助け合い、それぞれに役割があるだけで本当は全体で一つの存在なのだ、と言います。そしてそれら神々の関心範囲は銀河全体に広がる、との事。正しい見方かと思いますね。我々の持つ一神教の狭い排他的な感じとは全然違いますね。ただ、彼らユダヤの民(エッセネ派の方々)は、あえて神を選択し、浮気をしない、と言う事のようです。だって、彼らの大預言者、モーセの10戒でも最初に”わたしの他に神があってはならない”とありますしね。

そう言えば、10戒は、12戒だった時代もあったようです。
少なくともスディーがクムランで学生時代に習った戒律は12だったようです。

①他の神をあがめるな、
②神の名を気安く唱えるな、
③日曜は、神を思え、
④父母を敬え、
⑤殺すな、
⑥姦淫するな、
⑦盗むな、
⑧嘘を付くな、
⑨浮気するな、
⑩他人の財を欲しがるな、

これ以外に、"邪神バールを崇拝するな"、とか、"自分にしてほしくない事は他人に対してもするな"、と言う2戒律があったようです。 “自分にしてほしくない事は他人に対してもするな”は所謂、黄金律で超普遍的な教えですね。

●スディー的視点からみる(2)モーセ他

次に、スディーの解釈するモーセ論ですが、聖書の記述とは大分違う点が多く驚きです。

・まず、葦の舟に乗って川に流されて来た赤子のモーセを王女が拾って育てた事になっているが、本当は、父親がヘブライ人、ヨハネの子孫で、母親がファラオの娘、王女で、彼女の名誉を守るため、そう言う作り話を作って広めたのだ、との事。

・また聖書と違うのは、癇癪をおこしたモーセが人殺しをしたので王宮を出たことになっているが、実際には父親が奴隷のヘブライ人と知ったので、王宮を出て、ヘブライ人と暮らすことを決めたのが主要因、との事。

・荒野に追放された理由は、ラムセスが好きだったネフェルタリとモーセが相思相愛だったので、モーセが憎くてラムセスは荒野に追放した、との事。

・燃える柴から神の声が聞こえたと言う話に対し、スディは疑いを持っており、単に心の中で神と会話をしただけだろう、との事。

・紅海を二つに割った話も、あれは、別に湖が割れて湖底が出たのではなくて、当時の人々は、水に思念のパワーを投入して、水の表面を固め、水面を歩く事ができたから、ただそれだけの事。単に自然と調和しただけ。これは訓練で出来る類の話。ただ、ファラオにはその力が無かったから水に沈んだのだ、との事。驚きですが、水が人の思いを受けて変質したり、記憶媒体にもなれる、と言う話を多方面から聞いた事があるので、ある意味、無くはない話です。

・モーセが荒野で人々を率いる際、彼の杖についた水晶から出る光を頼りに行先を決めていたようです。ただ、いつの間にか、水晶の光と心の声に従うより、人々の声に従い、惑わされ、翻弄されるようになり、段々迷子になり、多くの民が亡くなった時期があったようなのですが、以後反省して、神に祈り、神の導きに従う事で状況は改善したようです。この水晶は元々ヤハウェの持ち物で、アブラハムに与えられ、以降、子孫に代々受け継がれて来た物のようです。

・またエジプトへの呪いの数々もスディーは疑っており、ヤーウェはそうした復讐の神ではない、と言います。川が赤くなったのも、火山の爆発があったので、それを見たモーセが、硫黄を含んだ赤い土砂がこの後流れて来るだろう、と予見しただけだし、カエルの死骸の大量発生も硫黄の川によるものだし、アブの大量発生もカエルの死骸によるものだし、子供が亡くなったのも当時ネズミを介した伝染病が流行っていただけで、別に呪いではない、ヘブライ人は奴隷だったので住んでる場所がエジプト人達の街と離れていたので感染を免れただけだ、と言います。冷静な見方です。

・またモーセが十戒を授かった後、民衆がバール信仰をしていたので愕然とし怒り心頭で石板を割り数千名の同胞の殺害を命じた、とありますが、スディー曰く、石板を割ったのは事実だが、同胞は殺してはいない、との事。そこまで強権を持つ存在ではなかったようで、石板を再度刻んだ後には、同胞もモーセに従い、カナンを目指したようです。ただ、モーセはカナンにたどり着く前に亡くなっていますが、その要因は、彼が自分自身を信じ切れなかった為、とスディーは解釈しています。

以上、スディーのモーセ観でした。

湖畔人

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