第5話. 一度きりの人生を大切に生きる為に【3】 霊的人生観の設定方法

2016-07-24 17:55:44 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

(1) 霊的な世界観を持つに至った経緯

先の第4話では、自分の霊的な人生観に基づいて、日々自分自身に対し、あるべき精神態度を持つ事をノルマとして課している事、また祈りについて説明させて頂きました。

また、その中で、自分の霊的な人生観としては、人間神仏の子の思想や、生命の大樹の考え方、またカルマの思想や、生まれ変わりの思想を重要視している、と申し上げました。

今回は、なぜ、人間神の子の思想や、生命の大樹の考え方、またカルマの思想や、生まれ変わりの思想がとっても重要であると思うに至ったのか、その理由を説明させていただきます。

因みに私は、直感はあっても霊感は自信がなく、所謂、霊能者ではございませんので、私の思想の選択は、霊的な実感を伴う、強い霊的確信を伴うものではないのです。

が、ただ、数多くいる神々の中でも、究極に近い神は、きっと公平でリーズナブルな教えを説く存在に違いない、という強い信念がございまして、その視点から見ると、私にとっての究極の神は、”被創造物であり、自らの一部ともいえるこの宇宙や人類をきっと肯定し大切にされる御存在であるだろうし、その大切な人類がお互いに仲良くする事を強く望む“愛”を説く御存在であるであろうし、この世、この世界での人類の人生経験を、人類の成長の場、教育の場と捉え、人類の成長を喜び見守る御存在であろうし、その究極神は、公平な神でもあるので、どの人種であろうが、どの時代に生きる人々であろうが、男であろうが女であろうが、関係なく、皆に等しく成長する機会の平等を与える偉大なる神であろう、そして公平さ、人生は学び、という観点からすると、間違いなく転生輪廻、カルマの教えを肯定する神であろうし、その究極神の教えは、様々な宗教や哲学、世界中の様々な教えの中に共通して見られる最大公約数な共通真理、普遍的なるお教えに違いない。 また宗教間の争いや、人生の意味や、宇宙の始まりなど、様々な疑問に答えられる神なのだろう”、と、そういう想定をし、その視点から、人間神の子の思想や、生命の大樹の考え方、カルマの思想や、生まれ変わりの思想が重要である、と思うに至ったのです。

これは、誰でも容易に想像できる判りやすい真理の探究方法であろうかとは思いますが、私は、少なくとも、そうしたプロセスを経てたどり着いた結論なのです。

(2) 最大公約数的な教え

私が想定する究極神の教えは、様々な宗教や哲学、世界中の様々な教えの“最大公約数“な共通項にある普遍的な教えに違いない、と申しましたが、人間神の子、生命の大樹、カルマ、輪廻の思想、は世界中の多くの宗教や多くの思想の中に多くに見受けられる、最大公約数的な教えと言ってよいかと思います。

まず、人間神の子の思想は、砂漠の宗教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教以外は殆どの宗教が認めている思想です。特に、汎神論(全てに神が宿ると見る)的な思想を持つ、ヒンズーなどインドの宗教、プラトン他のギリシャ哲学、ドイツの観念論哲学や、ドイツロマン主義、神智学、人智学、ニューエイジの多く、神道、神道系の多くの新宗教、また法華経などを含む仏教は、皆、人間神の子、仏の子の思想を肯定しています。最大公約数的な教えと言って良いかと思います。

生命の大樹と言う考え方も、宇宙樹とか、世界樹とか、様々な言い方で呼ばれていますが、北欧の神話でも、ケルトでも、エジプトやメソポタミアなど中東でも、勿論旧約聖書やカバラでも、インドでも中国でもアステカなど中南米でも、多くの地域に神話として残る最大公約数的な考え方です。人は大きな巨木である神の枝の一つ、葉の一つであると見る考え方で、人類神の子の思想とも似ています。

生まれ変わり(転生輪廻)とカルマの思想は、主にインドの宗教、ヒンズーや仏教がとる考え方であり、その影響を受けた道教でも、また人智学や神智学、プラトン他のギリシャ哲学、近代ヨーロッパでも啓蒙主義やロマン主義、進歩史観などを背景にして受け入れられましたし、ニューエイジの多くや新興宗教においても多く認められた考え方ですし、古代ケルトでも認めていた考え方のようです。原始キリスト教においても実は輪廻は認められていたという話もよく聞きます。553年のコンスタンティノポリス公会議で、輪廻転生説が否定されたと聞きます。と言う事は、それ以前には、キリスト教においても転生輪廻は受け入れられていたと言う事になります。多分教会の権威付けの戦略上の決定なのかもしれませんが、罪深い決定だったと思います。日本では、仏教が盛んですので、浄土宗を契機に長らく土着して来た考え方です。最大公約数的な教えと言ってよいかと思います。

(3) 公平でリーズナブルな教え

次に、究極神はきっと、公平でリーズナブルな教えを説く方に違いないと先に申し上げましたが、その視点から見ましても、人間神の子仏の子、生命の大樹、カルマ、輪廻の思想、という4点は、とっても公平でリーズナブルな教えだと思うのです。

神にも、神道の八百万ではないですが、良い神、強い神、意地悪な神、妬みの神と、きっと様々な個性や神格を持たれる高度な霊存在は多数いらっしゃるのだと想定しますが、地球的な、根源的な神はどうか、と想像いたしますと、その方はきっと、どの地域にどの時代に生まれた人間に対しても、人種や男女の隔てなく、公平で愛に満ちたリーズナブルな教えを説く神であるはずだ、と思うのです。

究極神は、普通に考えて、公平で慈愛に満ち優しいはずですよね? で、そうした見方で見て行きますと、その究極神は、自らの子である人類を罪の子と憎み続けたり、ある特定のエリアに生まれた種族だけを愛し贔屓したりする、なんてことはしないと思うのです。もちろんそういう妬みの神もおりますが、根源に近い究極の神は、優しく公平なはずです。

もちろん、文明的な神の計画上、多くの天使を1カ所に集めて何かを成すなんて事は大いにあるにしても、説く教えの中身は、公平で誰にでも当てはまり、人類への愛に満ちているであろうと想定するのです。
 
であるとすると、その究極神は、人類を罪深い子達であり、滅ぼされるべき存在である、と不安と恐怖に置く事を善しとはせず、多分きっと、人類は、神仏にとってかわいい子供達で、神仏はその成長を楽しみ見守っている、深く愛している、だからきっと究極神は、“人類は神仏の子達である”と説くはずだ、と、考えるのです。

また、人類は神仏という大きな樹の一部、枝葉の一つ一つであり、皆、繋がっており、一体なのだから、皆愛し合い、尊重し合いなさい、と、そう言う愛の教えを説く方なのであろうと、容易に想像できるのです。

ですから、人間神の子仏の子と言う思想も、生命の大樹という見方も、究極神は好まれるであろうと想定しております。

また、究極神は、カルマ、輪廻の思想を説くはずと思えるのです。逆に言えば、もし生まれ変わりの思想がないとしたら、その神はあまりに不公平で残酷すぎると思います。

例えば、ある不幸な女性は、見た目も悪く、不細工で、貧しい家に生まれ、住んでいる町は犯罪に溢れ、街の人達の人心は荒さんでいて、彼女はそこで育ち生活し、貧しく、仕事も無い中、荒んだ者達に囲まれながら、細々と生きていた所、強盗に会い殺され、世を恨みながら亡くなり、地獄に落ちたとします。

一方、ある幸福な女性は、見た目も綺麗で、裕福な家に生まれ、両親の愛情いっぱいに育てられ、穏やかな環境で、同じような境遇の仲間達に囲まれ育ち、良い結婚をし、良い家庭を築き、心綺麗なまま一生を終え、天国へ帰ったとします。

もし人生がたったの一度切りで、そのたった一回の人生で、その者の魂の評価、彼女の魂の永遠の行先が決まってしまい、永遠の地獄の業火に焼かれ続けるか、天国に永遠に住まうかの二択しか無いとしたら、この不幸な女性はあまりにも可哀想すぎます。片方には貧しく荒んだ地獄に落ち易い環境を選ばせ、片方には良い生活環境と人間関係に囲まれ天国に行き易い人生を与え、でもチャンスは一度しか与えず、失敗したら永遠の業火に焼かれていなさいなんて、余りにも酷過ぎます。そのような不公平な条件を与えながら、人生のチャンスも魂の評価もたったの一度切りでは、余りに酷すぎます。そんなシステムを考えた神は、不公平な神、アンフェアな神、酷い神、と言う事になってしまいます。転生輪廻を否定すると、そうなってしまうのです。

でも、転生輪廻の思想さえあれば、この不幸な女性のように、仮に貧しく荒んだ環境に生まれても、次の人生では別の選択が出来、まったく違った人生を生きる事が出来ますし、輪廻の中でバランスを取る事が出来ます。良い人生を送ったり、悪い人生を送ったり、貧しい人生や裕福な人生、厳しい人生や楽目の人生と、様々な人生を経験しバランスを取る事ができるのです。これなら公平です。

また、輪廻の目標が魂を磨き進化、深化させることにあるとするならば、不幸の女性の人生のような、貧しく荒んだつらい人生があった方が、葛藤も多かった分、心に深みが生まれ、貧しい人たちへの差別心も消え、慈愛の心が芽生え、彼女の魂にとっては、むしろ楽な人生を送るよりよっぽど学びの多い、収穫の多い良き人生だった、と言う見方も出来るようになる訳です。輪廻があると認めるだけでこれだけ人生の捉え方が変わるわけです。

でも、これが人生は一度だけ、という世界観でいたなら、前者の不幸な女性の人生は、ただ単に酷い人生でした、アンラッキーでした、それだけで終しまいです。私の信じる究極の神はそんな不公平はしませんので、必ず、輪廻を肯定する神なはず、と考えます。

また、カルマについても、公平性の観点から見ても、良いも悪いも自分のしたことは全て自分に返ってくるという考え方を取る事は、とっても公平でリーズナブルな考え方だと思います。ある特別な存在は、悪を成しても許される、なんて言う依怙贔屓な思想よりも、全ての人類は、等しく、各人の成した全ての思いや行為に対し責任があり、それらの行為は、良いも悪いも、全て各人に跳ね返ってくる、と、そう考えた方が、よっぽど公平でスッキリしており、支持できます。だから私の信ずる究極神はカルマを肯定する神であるべきと思うのです。

結論として、私の想定する究極神は、公平な愛に満ちリーズナブルな神なので、人間神の子、生命の大樹、カルマ、生まれ変わり=転生輪廻の思想を重要視する神なのです。

(4) 現代日本の究極神

先に、自分にとっての究極神の条件をご説明させていただきました。
そこでは、“数多くいる神々の中で、究極に近い神は、公平でリーズナブルな教えを説く存在と想定し、その神は、被創造物であり、自らの一部ともいえるこの宇宙や人類を肯定し大切にされる御存在であり、その大切な人類がお互いに仲良くする事を強く望む“愛”を説く存在であるから、人類を神仏の子と定義し、神と言う巨木の一部、枝や葉が、人類に相当するから、みな繋がっており、皆一体なので、互いに尊敬し合い愛し合えと愛の教えを説くであろう、

また、究極神は公平な神でもあるので、一度きりの人生ではあまりに不公平だし、様々な経験を通して段々と成長してほしいと願っているので、転生輪廻とカルマのシステムを採用しているはずだ、と申しました。

また、宗教間の争いや、人生の意味や、宇宙の始まりなど、様々な疑問に答えられる神なのだろう、と申しましたが、

実を言うと、幸いな事に、この条件を全て満たし、且つ更に余りある、広い認識と世界観を提示する偉大なる宗教家が現代日本に現れております。現在もリアルタイムで日々教えを説いてくださっております。多数の著作を毎年出し続けているベストセラー作家でもある偉大な宗教家です。

私は、その方の影響を最も強く受けており、同時代に生まれたことを心の底からラッキーだと思っています。その方の教えはかなり広範で、霊界の話もすれば、政治から経済、現代の混沌とした世界における正義の判定や、最近では宇宙の事まで広範囲に教えを説かれています。
大概の思想とテーマを包括されているので、正直言って、その方の著作を読んでいれば、大概の世に起きている出来事のその背景と発生理由が説明できてしまうという凄い御仁です。誰とは申しませんし、ご想像にお任せいたしますが、毎年多数の書籍を出されている方と言えば、直ぐにお判りになるはずです。

是非、本屋に行って探してみてください、宇宙の始まりから、人生の意味、霊界の階層まであらゆる疑問に答えを用意されている偉大な方ですから。

この記事が皆様の人生のお役に立てるならば幸いです。

湖畔人

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