第187話. 様々な変化

2018-10-14 00:42:51 | よもやま話,雑感,最近思う事
湖畔人です。

最近色々と変化を感じる事があります。今日はそれらについて少し語ってみます。

まずは、日が短くなりましたね。夕方6時には大分暗くなってしまいます。湖畔散策も以前の時間帯のつもりでいると折角湖畔に出掛けても真っ暗で何も見えなくなる始末です。意識を変えないといけませんね・・・。

次に、それに伴うのか判りませんが、気温が急に低くなりましたね。先日まではTシャツ一枚で寝ていましたが、今は毛布が無いと風邪を引きそうです。明日からまた最低気温が15度以下とか言っています。そろそろ少し暖かい恰好を用意する必要がありそうですね。

次に、今日あのNHKに少し変化を感じました。今日、午後出かける際、ラジオで大好きな『かんさい土曜ほっとタイム』の『ぼやき川柳アワー』のコーナーを聴いていて、チャンネルを変えずにそのまま聴いていると、東日本の震災後の心のケアについて話す番組をやっていたのですが、そこで、震災で亡くなった方の幽霊話を取り上げていたのです。宮城のタクシードライバーの逸話として、夏だと言うのに冬仕様のコートを着た女性を乗せた事があり、変だな?と思ったが一応乗せてみて、行き先を尋ねると、震災で被害が大きく今は更地に成っている場所に行きたい、と言うので、“暑くないですか?また行き先は今更地ですがそれでいいのですか?”と聞くと、“やはり私は死んだのでしょうか・・・”と悲しい声で呟いており、ルームミラーで後部座席を見ると、もうその女性は乗っていなかった、と言う話を紹介していました。文脈的には、幽霊を否定できない事実として扱っている、と言うよりは、むしろ、まだ癒されていない心の傷が要因となった心理的なもの、と言うニュアンスで語られていたかもしれませんが、それでも、こうした幽霊話をバカバカしい話と一笑すると言うよりは、むしろ、ありうる話として扱っていたのには正直驚きました。NHKも少しずつ変わりつつあるのかもしれません。

次に、私が尊崇する宗教家がプロデュースした映画が始まりまして、早速観てみましたが、メッセージとしては、地球と言う星に集う人間達のルーツを辿ってみると、実は地球と言う星は、様々な星から集ってきた方々の集積であり、それぞれの星にはそれぞれの違った価値基準があり、どちらが正しいと言う物ではなく、調和を優先すると停滞を産むし、進歩競争ばかり言うと殺伐とするし、どちらにもそれぞれメリットとデメリットがあるが、地球の根源的なる神の意志としては、進歩と調和と言う全く違ったベルトルを持つ価値観を、愛と信仰を中心に置く事で両立させなさい。それを地球的価値観としなさい。それぞれに足りてないものを互いに学び合い身に付け合いなさい、出自がどうであれ、皆神の子達であるのだから、どちらが偉いと言う物ではなく、互いに尊重し合い愛し合いなさい。力を持つものが弱きものを力で従え奴隷のように扱う世界、弱肉強食の世界は根源なる神が望む世界ではない。正しきものは、神に祈り、神から光を引き、神と一体となる事で強くありなさい、そしてその強い力で弱きもの達をあらゆる悪より守りなさい、それが根源なる神が望む世界観である。よって、親である神の願いを知って、それを素直に受け入れて、神と一体となりながら力を付けて神の望む方向で、世界を作って行きなさい、と言ったような感じのメッセージだったかと思います。色々と考えさせられる重みのある映画であるな、と思いました。
個人的に気になったのは、根源神の前で、進歩系の価値観を持つ星の代表が、力こそ全て、弱きものは強きものに従え、と言う価値観を振り回わそうとした所、根源神はかなり恐ろしい形相をし、進歩系の星の代表者を睨みつけて、光圧で抑えつけ、厳しい神の側面を見せているシーンがあったのですが、それがとても印象に残りました。余り調子こいて好き勝手ばかりやっていると神はいつまでも黙ってはいない、と言う事なんだと思います。余り舐めてはイカンと言う事になりますね。
また我々が今見ているエジプトにある古代文明の形跡は、あれは数千年という浅い年月の形跡ではなくて、どうも数億年前の超古代文明の痕跡の様ですね。人類史は思ったより長い歴史を持つ存在なようです。驚きですね・・・。

湖畔人

第186話. 前話の続き-隙があると言う事-

2018-10-08 15:27:48 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

ちょっと、前話の続きと言うか、前話とは真逆の事を一言、言いたいのですが、嫁にも指摘されたのですが、隙は特に国レベルにおいて、特に国防等においては隙があってはならない領域な訳なのですが、でも事、個人においては、多少の隙は個人に魅力を与えており、そうそう悪い事ばかりでは無さそうです。先日取り上げたブランディングのプロ、柴田陽子さんも、番組中にオッチョコチョイな失敗を二度程見せていましたね。そう言う隙は、個人に魅力を与えているのも事実です。特に厳しい大きな仕事をしている人間がプライベートで少しお茶目な間抜けをするのはちょっとしたご愛敬ですよね。時代を動かす大仕事をした竜馬も少し間が抜けていたのは有名な事実ですね。個人においては多少の隙も悪い事ばかりでは無いようです。でも柴田さんのように事務所に大量のエイヒレが送られて来ては匂いも含めて周りの方々はきっと大変でしょうけどね、でもきっとちょっとしたいい思い出になるのでしょうね。
隙は基本減らすべきだし、社会においては致命的だけど、でも個人レベルでは、ちょっとだけの隙なら、日常のちょっとした潤いになるのかもしれませんね。

湖畔人

第185話. スポーツ一般における勝負を決める要素と相撲道について-隙を突くと言う事-白鳳と稀勢

2018-10-08 12:07:09 | スポーツが与えてくれる力
湖畔人です。

今日は何かの結論を言いたいと言うより、ボクシングの井上尚弥選手の勝利を受けて、スポーツ一般と相撲の違いについて、何かモヤモヤしている気持ちを吐露してみます。

先日、貴乃花親方が相撲協会の幹部役員を辞めましたね。きっと辞めた理由は色々あるのでしょうが、想像では、不満の一つには、モンゴル勢の取る勝負に拘る相撲姿勢と、貴乃花親方が相撲に期待する相撲道と言うか、特に横綱に期待する品格の在り方に関して、多分モンゴル勢のやり方と大分乖離があって、それに対し不満があったのではないかと勝手に推察をしています。(違ったらごめんなさい)それが正しいとすれば、確かに、相撲は神事であり、心においても潔さや邪念を排すべきと言った心持の在り方をも身に付けるべき鍛錬の対象とすべきなのかもしれません。
一方、世にある殆どのスポーツは、ボクシングであれ、サッカーであれ、卓球であれ、テニスであれ、野球であれ、剣道であれ、柔道であれ、相手の裏をかく事、相手の隙を突く事、または意図的に相手に隙を作る事をして勝敗を決めています。勝負を決める要素には、力の強さ、速さ、技をコントロールする技術力、それを制御するメンタル、勝負時に決め切れるメンタルの強さ、判断の速さ、等、色々なファクターがありますが、相手の裏をかくことも勝負を決める重要な要素になっているはずです。昨日の井上選手も、相手の意識を意図的に操作して僅かな隙を作り、そこに速いパンチを入れ、相手をぐらつかせ、そこに強くて速いストレートを入れて勝負を決めています。そこには、相手に意図的に隙を作らせる知性と(後から聞くと、どうも本能的な動きだったようですが・・・)、隙にパンチを入れて当てる技術力と、パンチの強さと速さと重さ、ここぞと言う時に決め切れるメンタルの強さ等が勝敗を決めている要素だったと思います。サッカーのメッシも相手の裏をかいてディフェンスをすり抜けてキーバーの逆を突いてゴールを揺らしています。そこには、速さと、相手の裏をかく知性(狡さ)とボールを操る技術力と決め切る強いメンタルがあるはずです。大坂なおみさんも同様です。速いサーブと、意図的にラリーで相手に意識付けをし、相手の意識がコートの片側に寄る事で隙が出て来たら、心を決めて、高い技術力で、相手の意識とは反対の厳しいコースに、強くて速いショットを入れ点を取っているかと思います。技術もメンタルもパワーもスピードも、相手の隙を作る事もしているはずなのです。
では、この相手の隙を作る、相手の裏をかく作業は、横綱には許されない“卑怯”な行為なのかどうか、と言う点が本日問いたいポイントです。
上記のように殆どのスポーツには相手の隙を突く事を勝つための重要な要素としています。上級者は意図的に誘導したりして意図的に相手に隙を作ることをもします。これだけ様々な競技で要求される共通項目なのですから、多分、きっと、相手の裏をかく事、相手の隙を突く事、逆に言えばそうされないように隙を減らす事は、スポーツを通して神様が我々に修行項目として改善と向上を期待されている部分なのでは無いか?と勝手に思うのです。あくまで想像ですが、隙がある事と言う事は、警戒が不十分であり、様々なケーススタディが出来ておらず、何か起きた時に直ぐに対応が出来ないことを意味し、何かが起きてから慌てふためくのではなく、常時から様々に起こりうるリスクを想定しておき、それに対応できるシミュレーションをしておくべきなのかと存じます。それが組織のリーダー達に必要なリスク管理であり、人としての必要な成長項目なのかもしれません。だから“スポーツを通して、隙を減らすことを学びなさい。”と、神様も思われているのかも知れません。(ホントのところは判りませんが・・・・。)ですから、多分きっと神様は、“スポーツを通し、より速く、より強く、よりうまく体をコントロールする技能力とそれを可能にするメンタル、勝負を決める強い心を身に付けなさい、そして、相手の隙を誘発できるほど賢く、したたかであり戦略的でありなさい、そうやってライバルとも切磋琢磨しなさい”、と望んでいるのかもしれません。判りませんが、そんな気もするのです。だって全てのスポーツに共通する項目、鍛錬の対象なのですから、多分きっとそう言う事なんだと思うのですよね・・・。

仮にそうだとすれば、やはり、神事である相撲においても、相手の裏をかく事、隙を突く事、その状況を意図的に作る事も、卑怯な事と言わず、立派で必要な勝負の要素の一つとして、正規の身に付けるべき鍛錬項目として向き合っても良い気がします。白鳳を見ていると、凄く勝つ事に拘りが強く、勝つためには何でもやりそうな雰囲気があります。彼は立ち合いの変化や、張り手、肘打ち、等、横綱らしからぬ行為をする事で時々批判に晒されますが、これらの技も相手の裏をかいているだけ、とも言えなくはないかもしれません。でも、個人的には、やはり確かにそれらの技は、横綱としての、どっしりとした風格に合わない、威厳が足りていない、セコイ、ギミック的な小手先の行為のようにも見えてしまうのも、否定できない気持ちです。だから、横綱には、あまりそう言った小手先の小技や奇襲はやっては欲しくはないのは本音ですね。ただ、少なくとも横綱には下位力士にそうした技をかけられた時には、それらに対応できるだけの準備やら技の引き出し位は持っていて欲しい所です。白鳳は自分でやるくらいですから多分対応は出来るでしょう。ただ、稀勢の里にそうした引き出しが十分にあるのかと聞かれれば、若干の不安が残りますね。

相撲の素人ではありますが、その素人の自分が本日思う所としては、白鳳と言う力士は、力士として理想的な体型を持ち、上半身が長く、重心が低く、手も長く、相手の廻しは取り易いが相手からは廻しを取られ難く、理想的な体の柔らかさ、体幹の強さも持ち、瞬発力もあるように見えます。その上、勝ち気で、瞬時の集中力と、判断力、勝ち切るメンタルの強さがあり、且つ勉強熱心で、相手がどうやったら体勢を崩し不安定になるか、そのケーススタディ、相手に仕掛ける技の引き出しが沢山あり、意図的に相手に仕掛けて相手を不安定化させる状況を作る事が出来るように見えます。一度、相手の体勢が不安定になれば、その後どうすれば、そこから倒すなり、土俵から出すなり仕留める事が出来るのかについても技術と知識の引き出しが多くて、それらが稽古を通して体に染みついているようにも見えます。彼は相手がグラついてから仕留めるまでのスピードが物凄く速いです。本当に理想的な最強の力士のように見えます。ただ、時々勝気が勝って品格の所で多少問題が出ている事があるように見えます。その点がたまに傷です。朝青竜もその点が極端に出ていましたよね。もし白鳳が、立ち合いの変化や、張り手、肘打ち、等をしなくなって、私生活の醜聞も聞こえて来なくなってくれば、彼は本当に非の打ち所のない完璧な横綱になるように見えるのです。
一方、稀勢の里は、多分、心持ちは清廉で立派な横綱道の心持を持ち、邪心もなく、ただ、大物横綱のように、下位力士の繰り出す様々な技を受け身で受けているだけのように見えます。(間違っていたらすいません)多分それは貴乃花も望んだ横綱の理想の姿なのかもしれないですが、でもそうした大横綱の受け身の態度は、あらゆる力士の繰り出す、あらゆる攻めやあらゆる技を熟知していて、それらへの対応も熟知しており、かなりの確率でそれら全てをいなす事が出来る、だから悠然としていて、心無にして受け身で横綱相撲が取れるのだ、と思うのです。その為には単純に力士として力も強く、基本がしっかりしていて、技や型への理解や対応もしっかり出来る、そうしたオールマイティーさが前提として必要かと思うのです。
でも稀勢の里がそれら全てを身に付けているかどうかについては、若干の不安が有るのです。(間違っていたらすいません)稀勢の里は、体は大きいですが、足が長く腰の位置が高いので、状態が立ちやすく、重心が高いために相手に胸に入られるとバランスを崩されて負けやすくなる身体的弱点があるように見えます。その弱さを横綱だと言うのに、まだ鍛錬によりカバーしきれていないように見えるのです。心根は、清く正しく潔いが、相手の体勢を崩すために自分から仕掛ける事も余りないように見えますし、それらに関する知識や技としての引き出しも余りないように見受けられますし、相手が不安定になる状況を意図的に作る事も余りせず(多分卑怯と思っているから)、そこから仕留める技術や知識についても当然引き出しが余りないように見えるので(間違っていたらすいません)、勝つ為のレパートリーがかなり限られているように見えるのです。それが故に、全勝優勝をした事が無いように見えるのです。精神的には既に立派な大横綱なのかも知れないけれど、勝つための知識や研究、技術の引き出しが不十分なように見えるのです。勝負時の無心は結構ですし、様々な技を覚えても、最後は、研ぎ澄まされた集中と無心が重要なのは事実ですが、その前に通るべき基本がまだ不十分なように見えるのです。体の仕上げ方も不十分、戦いにおける知性、技、ケーススタディ、またどうやったら勝てる状況を意図的に作れるかに関する研究も不十分です。それらを考え続ける事、研究する事を怠ってはならないと考えます。稽古においてはそこを様々に想定してケーススタディを十分に試し、自らの技として身に付けて置き、技の引き出しとして持っておくべきです。そこが無いと、後進の指導にも不安が残ります。もっと、技への対応の仕方を研究家やオタクのように数多く拾って身に付けてほしいのです。そして、相手を不安定化させ仕留めるケーススタディも汚いなどと思わずに沢山しっかり身に付けて頂きたいのです。横綱として勝ちにもっとこだわる必要があると考えます。勝つためのケーススタディをもっとする必要があるように見えるのです。白鳳と比べると、心の持ち以外は全て劣っているように見えます。(間違っていたらすいません)
よって、稀勢の里は、まず、体、体勢を低くする稽古を積み(四股で十分?)、体幹の強化もし(ヨガ?)、相手を如何に不安定化出来るかに関する為の研究を重ね(白鳳の相撲のビデオ研究?)、更に相手を不安定させてからの仕留め方に関する研究ももっと深め(白鳳の相撲のビデオ研究?)、勝てるレパートリーを増やす事が重要かと思います。それらが出来れば、白鳳と同じ大横綱になれると考えます。心持は既に大横綱ですが、技術と体がまだまだのように見えるからです。後どの位力士としての寿命があるのかは存じませんが、後二年位で、研究を急ピッチで深めて、白鳳の少し下くらいまでの境地には辿り着いて欲しい所です。
一方、白鳳は、私生活を改善し、相撲が神事と再認識し、品格を持って、立ち合いの変化や、張り手、肘打ち、を止めれば、もう完璧な横綱、と言った感じでしょうか。

今日は、スポーツによく見られる相手の隙を突く、相手の裏をかく作業は、横綱には許されない卑怯な作業なのかどうか、ちょっと素人なりに考えてみました。今日なりの答えとしては、横綱として、立ち合いの変化や、張り手、肘打ち、等、あからさまに品の無い行為は慎むべきだが、如何に相手に隙を生み、体勢を不安定化させ、如何にそこから相手を仕留められるかに関する技術的研究はしっかりと深め、身に付けておくべきで、多くの技の引き出しを持って横綱としての勝てるレパートリーを数多く持つべきである、また、横綱として柔軟でケガをしない体、強い瞬発力を生む強い体幹、低い重心の体に鍛え仕上げておくべきだと思います、と言ったあたりで、本日の答えとしたいと思います。稀勢の里には、期待が大きいが故にきつい事を言ってしまいましたし、素人の勘違いなのかも知れませんが、更に後、二段、三段とレベルを上げて頂きたいので、色々申しました。ファンとしては、後もうひと踏ん張り、後ふた踏ん張り位して欲しいのです。是非、頑張って頂きたいのです。心から応援をしております。

湖畔人


第184話. スポーツが与えてくれる力 井上尚弥と言う衝撃

2018-10-07 21:27:07 | スポーツが与えてくれる力
湖畔人です。

少し前に、『ワールド・ボクシング・スーパーシリーズ(WBSS)』バンタム級トーナメント1回戦、井上尚弥 対 ファン・カルロス・パヤノ戦が終わりまたね。嘗ての大チャンピオン・パヤノを、たった一度のワンツーパンチで失神KOさせ勝ちました。たったの1分ちょっとで終了です。開いた口が塞がりません。恐ろしい強さです。

勝つのでは?勝って欲しい!、と期待をして、心を乗せて応援をして、期待通りに勝利してもらう、と言うケースは、日本人選手の場合、そのメンタルの弱さからかなりマレでして、大体裏切られてばかりでホント嫌なのですが、今回の井上選手の場合は、余りその裏切られる気がしなくて、久しぶりに心を乗せて応援できる強い選手の登場だな、と思って、内心とっても嬉しく思っているのですが、今回も、そんな裏切られる心配より、その強さをリアルタイムで目撃してみたい、と言う気持ちの方がずっと勝っていて、リアルタイムで観る事にしたのです。でも結果は、此方の期待を超えて、1分チョイでの大完勝劇で、逆にそのあっけなさに、ビックリしている所です。

圧倒的な強さ、運動選手としての知性、その賢さ、勝負時に決め切る心の強さは日本人離れしており凄まじいばかりです。敢えて相手のグローブに数発連続してジャブを当ておいて意識をそこに向けさせておいて、一瞬、少し低い位置からジャブを繰り出し顔面に当て、相手が怯んで後退したところに重いストレート一発でハイ終了です。その瞬時の賢さと、体幹の強さから来るその強くて速くて重いパンチたるや、凄まじい破壊力です。

多分、今、日本国内で騒がれているよりも、もっと、ずっと、凄い衝撃が今、世果中を駆け巡っているはずです。パウンドフォーパウンドで現在7位、多分、今後もっと上位に上がって行く事でしょう。まるで嘗てのマイクタイソンを見るようです。タイソンは制御不能な化け物でしたが、この日本製のモンスターは極めて理性的で極めて普通な感覚の持ち主の好青年なのですが、逆にその分、もっと恐ろしくて、もっと怖い化け物なのかもしれないのです。一体今後どこまで昇り詰めて行くのか、彼の今後の活躍が本当に楽しみです。

湖畔人


第183話. 気になった音楽(30)&(31) 渡辺俊幸『忘れていたあこがれ』『かわりばんこに覗いた光』(アニメ「宇宙兄弟」ORIGINAL SOUNDTRACKより)

2018-10-06 23:01:10 | 気になった音楽
湖畔人です。

子供が成長する過程で、彼らが気に入ったアニメなりゲームなりは時間が許す限り大体一緒にやったり観たりして来たのですが、彼らの夢中になった物は割と良質なものが多くて、色々此方も学ぶことも多く、親である私個人のお気に入りになってしまったものも数多くございます。

小さい頃から数えると、まずは、個性は強いが悪い人が出てこない『ぷるるんっ!しずくちゃん』に始まり、パラレルワールドと言う言葉を初めて知った『家庭教師ヒットマンREBORN!』、ゲームでは64とサンシャイン等スーパーマリオ関係、Wiiのギャラクシー以降、Switchも含め子供達も大きくなってしまったのと、私も忙し過ぎて触ってもいないのですが、中古機として買ったNINTENDO64のスーパーマリオ64もゲームキューブのスーパーマリオサンシャインも、子供達以上にその世界観に入れ込んでしまって、かなりハマってしまったのですが、その後は、友情の為に命も捨てる尾田さんの『ONE PIECE』、それとまったりとした動物と人間が共生する『しろくまカフェ』、最後は、妹の息子、甥っ子から教わって家族皆でハマってしまった『宇宙兄弟』ですね。全てに共通するのは、友情や思いやり等ポジティブなメッセージがある事と、どれもとても良い音楽が流れていた、と言う事ですね。

最後の『宇宙兄弟』は、宇宙飛行士を目指す南波兄弟の挫折と成長と栄光と試練や困難、それらを克服する彼らの生き様が描かれているとてもリアルなアニメ(漫画)です。舞台もJAXA、NASA、ロシア、ISS、月面とかなりリアルに宇宙研究開発関連の最先端の世界観が描かれており、単純なサクセスストーリーではなく、笑いあり涙ありの感動の物語です。

最近地方のテレビ局でまた再放映されているらしく長男が録画していたのでちょっと再生して観てみたら、嘗ての感動が直ぐに蘇ってきました。主人公の心の呟きを交えながら、静かに進行する物語なのですが、時々笑いがあり、誠実さと思いやりと一生懸命さに満ち溢れたとても素晴らしい物語なのです。
特に、回想や物思いにふける場面で掛かる『忘れていたあこがれ』と『かわりばんこに覗いた光』と言う曲はもうたまらなく素晴らしい曲なのです。今の自分にとっては、聴いて心が最もピュアになるTOP2の二曲です。お勧め致します。

湖畔人