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童謡 『赤とんぼ』 考

2011年10月18日 22時00分10秒 | 
   赤とんぼ
作詞:三木露風、作曲:山田耕筰

1番から4番まで、コピーしますと音楽著作権に触れるかと思いますので
テレビの画像でご紹介致します。(同じことかな?テレビ局の著作権にも触れる?)

     

     

     

     

この歌が発表されたのは大正10年(1921年)、作詞家・三木露風が32歳の時の作品。
函館のトラピスト修道院で窓の外に赤とんぼを見、
幼い自分を背負ってくれていた子守娘のことを思い出して、この詩を作ったといいます。

■1、の「小焼け」とは、夕焼けがほぼ終わり、まだ少し夕焼けが残っているような状態の時を言います。
「負われて」は、「追われて」ではなく「背負われて」を意味します。

■3、は、諸説紛々としてどれが合っているのかは定かではないが
 露風が15歳の時に姐やが嫁に行ったのではなく、主語は姐やが嫁に行ったのは15であった、という事。
 これは間違いのない所らしい。
 
 姐やとは姉ではなく、子供の世話や家事を手伝うために奉公のように住み込みで働いている女性。

 ・お里とは、何処を言うのか?  
 A,姐やの実家
 b,姐やが嫁いだ先からもかつての奉公先だった家に律儀に便りを書いていた
c,露風の育てられた祖父母の家
 D,母親のいる所
 
 Aの、姐やの実家と考えるのが順当の様だ。
 便りといっても、明治初期に郵便事業が前島密によって広められても、
 娘を奉公に出すような家では、こまめに手紙を書くようなことは無かった時代。
 多分、長姉を奉公に出しても、まだ下には相当の子供たちが残っていたと想像出来る。
 風の便りとか、その村からの噂話とかも便りの部類に数えられていた。

・姐や との年関係
 露風が5歳とも、7歳の時とも言われているが、放蕩暮らしの父に愛想を尽かした母親が離婚をしています。
 父では、面倒が見られずその祖父母に預けられたそうで、そこにいた姐やと言う説がありますが
 7歳を過ぎていたら、姐やにおんぶなどしないと思いますが・・・・。

 また、露風本人が埼玉県立熊谷高校で講演したとあるから信憑性が高いのは、離婚する前で
 私が極めて幼いころに、私の母が子守娘を頼んでおきましたと、
 ありますからまだ両親が揃っていた頃と言うのが私の言い分です。
 どなたの説も、離婚後母親がいなくなったからと・・・、捉えています。

4、は、この詩を書いた頃(32歳)か、或いはもっと前の事かは分かりませんが、
 止まり木か、物干し竿かその先に停まっていた赤とんぼをみて、幼少のころを
 鮮やかに、懐かしく思い出したのである。
 
 姐やは、数か月などという短い間ではなく、かなりの長い間いたと思われます。
 両親の離婚後も、子守役として一緒に祖父母の家に行ったかも知れません。
 
        イメージです。赤くなるのは♂ですね。
        

まとまりのない話になってしまいました。
最後まで、お読み頂きまして有難うございました。


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