チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

いつも選択

2012年08月22日 10時44分20秒 | 日記

「私が選択したのだから」
とさる著名な物理学博士の夫人の言葉に
しばし沈黙をしたことがある

「夫は私を選んだつもりでしょうが私は彼を夫として選択したの」
この自立した自己をしっかりと持った夫人
次の質問が出ないほどチャコちゃん先生は当惑した

「選択をする」と言うことを考えたことがなかったのだ
そういえば私たちは毎日「選択」をしている
そのことを全く意識しなかった自分の人生と
その夫人の人生の違い

それ以来「選択」と云うことを意識するようになったら
自分の行動が俯瞰で眺められるようになった
根が「いいかげん」で「直感で動く」をモットーとしているところも有り
選択するまでもなく次の行動に走っていることが多い

最近の話だがその「選択」を忘れていたために
金銭的な大失敗をしでかし当会社や関係者に大迷惑をかけている
「観で動く」事の大切さも知っているが
まだこの資本主義の世の中「選択」することも大事

私たちは一日何十回の選択の中で生きているのだろう

今日もまず午前4時30分に目が明き
「まだ起きるのは早い」と
いったんは目をつむりかけたが
「そうだもう一度あの美しい明けの明星をみてみよう」
と起きることを選択して起き上がった

金星を見つけたが昨日のあの大きな輝く金星ではなく普通の星

見ることを選択しなければ昨日の金星のすごさは理解できなかった

起き上がったので目が覚めハテどうしよう
「そうだスカイガーデンの植物に水をやろう」
と選択

何を着るか、何を履くか、水を放出しながら雑草を抜くか抜かないか
終わったら散歩をするかFBをするか
朝食の支度何を食べるか飲むか
起き上がって2時間の間にすでに10コの選択で過ごしている

こうして日常の選択、仕事の選択、この話をして良いかどうかの選択
大きい選択小さい選択
無意識にしろ意識的にしろ人は生きている限り選択から逃れられない

自分の死でさえも自分で選択していることになる

自然死を選択する人
人工的に延命を図る人ー(これは人の選択のように思うが延命をさせたいという人を
自分の周りに置いたのは当人の選択)

人のせいにする人も自分が逃げることを選択しているに過ぎない

何もかもこの人生自分の選択で事が進んでいる
そう思い知ると責任も自分で取るようになる

選択のあとはそこに責任が生じる


コメント
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