227回ライブをやっていて、そこに浮き上がってきたのが父の言葉であった
散歩の途中、食事の時、庭を眺めている時、質問に答えてくれた時、そういう時の言葉が次々脳裏に浮かんできた
19年も前
「父さんの講話を別府集会の人が本にしてくださった、読んでみて」と長姉が送ってきたのに、一ぺーじも開いていなかった。つまり読んでいない。その時一緒に送られてきた姉の手紙も挟んだまま放置されていた(なんと親不孝、姉不孝)
その本は旧約聖書の「エゼキエル書」を講話したものだった。父が亡くなって24年たって出版されていた
父の命日には父母の墓にお参りする、その時父の聖書講義を受けた方々も集まって、お墓の前で聖書の一節を読み、賛美歌を歌って黙とうしてくださる。姉たちが健在の時はその方がたとのおつきあいは姉に任せて、私はほかの楽しみに走っていた。しかし姉たちや兄もなくなってくると、私と姪が墓参りをし、集会の方も父を知る人も少なくなり、その中の長老がいらしてやっと聞く耳を持った私は、その方のお宅に招かれ、父のノートや、テープを聞かせていただいた
涙が止まらなかった。
父の職業は弁護士であったが、この聖書研究こそがライフワークであったのだろう。「神を神とせよ」という信念で生きていたのだ。人は神によって生かされている。だから安心して日々を暮らしていけばいい。何も心配することはない。心配することは神対して失礼にあたる、何もかも与えられているのだからそこに感謝して過ごせば、更に与えてくれる。
そういう考えだったので、我が家は質素だった。しかし不満を感じたことはない。ただ父の要求は女の子は「淑女たれ」ということだった
特にお茶のお稽古で日本の基本の文化を学ぶようにということはよく言われていた。姉二人は忠実にそれを守った
茶道には書があり、書く読む知る、お道具には本物を見る目が養われる、動きに謙虚さが出る、更に長幼の礼を学ぶ、心の作法を身に付けることが出来る。人をおもんばかる心が養われる。茶室には神が宿っている
「フーーん古クサ!」
と敬遠して飛び跳ねていたチャ子ちゃん先生、今やっと父の言葉にうなだれている(遅いよなあ)
というわけで
お茶室のある銀座の「ゆうき丸」という料理屋さんで「比佐子つれづれ」再開