お雛様を出すときも仕舞う時も家じゅうの女たちは生き生きとしていた
主役はそのとき一番小さい「御姫様」
美しいおべべを着せられて写真に納まっている姿がなんとも愛らしい
この写真を見るたびに家族に愛された自分という原点に戻れる
誰もが5段7段飾りのひな壇を購入することはできないので、多くの場合は長女に買ったものをそのまま使うということが普通でもあった
所が我が家は子供の年が離れていたためその都度新しいお雛様がお出まし
前のものは親戚にまわっし、その時新しい人形として市間さんを添えていたようだ
ひな祭りにはみんなが集まってちらしずしを食べる
お酢の加減や卵の切り方、すべて五行の色とエネルギーの形がが主になっているのを、大きくなって知った
お人形の着物の着せ方などもお姉さんに教えてもらうのだ
何もかも手作り、口移しで遊びの中から日本の文化を教えてもらう
教えてもらうという窮屈さはなく、年かさのお姉さんが主導権をもってひな壇を飾っていくのだが、その家によっては並ぶ順序も違ったようだ
子供が子供に伝えていくという手法はほほえましい
しかしこういう風景も戦争で消えた
我が家も疎開などする間もなく、玄関に落ちた爆弾で一撃のもとにお雛様など木っ端みじんに消えた
物が消えるとそれにまつわる文化も消えていく
其れを再興できぬまま、日本では本当の意味での着物文化は埋もれて行った
戦争は新しいものを生むかもしれないが、培った様々な生活文化は2度と戻らない。戦争に勝った人たちの考え方で世の中を変えていくからだ
着物の形が残っていることに感謝して
きものが何千年と紡いできた文化の中から、繋いでいくものはきちんとつないでいきたいと思う