きものの着付けを教わったことはない
どういうわけかいつか一人で着物を着つけていた
きものに興味を示さなかったのはトラウマがあったからだと最近気が付いた
小学校四年まで病気の連続で、何かといえば着物を着せられていたので
きものを着ると病気になるみたいに思っていたのかもしれない
しかしチャ子ちゃん先生の時代は何か祝い事があると着物を着るのが習わしで、凶事は学校の制服というように区分されていたように思う
よそ行き着の着物は姉か女中さんが着せてくれていたが普段着は自分できた
お茶の稽古、お琴の稽古にはいつも着物を着せられていく
そういう環境の中で娘たちはきものになじんでいく
それが日本の家庭の風景だった
高校を卒業してすぐお嫁に行った同級生はほとんどの人が日常にきものを着ていた
妊娠しても着物を着ていた
赤ん坊ももちろんきもので、おむつは晒しや浴衣の古い木綿があてがわれていた
濡れると気持ちが悪いので、赤ん坊はすぐ泣いて教える。そのため一人立ちが早かった
そのころ流行り始めた新婚旅行にも着物を着ていく人がいてそれが当たり前、少し後には洋服着て帽子をかぶるのが流行
そういう日常の中で着物を着るのに10分以上はかけられない
大体5分で着てしまう。それが当たり前
そして高度成長期にきものは普段着から大層な晴れ着になり、職人が作家先生になって、さらにきものの着付け学校などが誕生し着物がどんどん離れていって、着るのがむつかしいと洗脳されてしまった
きものの着付けはお刺身料理だと思っている
刺身は手早く切ることで味も形もおさまる
きものも手早く着つけることで着姿が決まる
五分が目標、10分以上かけたらきものが疲れて肌から逃げていく、そうするとここもあそこもおかしいという状態になっていく
10月の連休にその辺の講義をしようと思い立った 10月14.15