昔の人の格言はぴったり「暑さ寒さも彼岸まで」
彼岸の入りに入った21日から見事に気温が下がり凌ぎやすい、自然をよく観察しているので、このような的確な言葉が出るのだといつも感心する。春分の時もそう、このあたりから寒さが和らぐ
秋分は真東から太陽が昇り、真西に太陽が沈んでいく。昼と夜に時間がちょうど同じで、この日からだんだん夜の時間が伸びていく。なんとなく鳥もねぐら探しに忙しいようだし、渡り鳥も帰り支度、世の中が次の時代に向けていそいそと急ぐ
どうして彼岸というのかしら、と調べるとどうも仏教伝来の時期、飛鳥時代にはもうあった言葉のよう。彼岸とは悟った人の行くところ、この日真西に太陽が沈むということは、その沈む方向が彼岸と考えられたようだ。
風習としては春の牡丹餅、秋のお萩をいただく、ともに小豆のお饅頭
小豆は整腸にいいとされている食材で、赤い色が魔除けとも、しかも小豆は秋の収穫でふっくらとたける、だから秋は粒あんの萩の花状態、春は小豆が固くなっているのでつぶして使う、牡丹の花のように平らに作るのでこし餡
この内容は母からの受け売りなので、学問上は定かではない
私は粒あんが好きなので、春も秋も粒あんのおはぎを作ってもらっていた
小豆を一晩水につけ、其の水は捨てて真水を入れ沸騰させ、其の水は捨ててまた真水を入れて煮る。水気が亡くなったころ見計らって佐藤年をを入れ、お菜箸でかき混ぜる、水分がなくなるまで煮詰めてそれを餡に使う
(母は沸騰させ一番だしは取っておいてそれを私に飲ませていた。腎臓病を患っていたのでそれがいいということだった、のちに汚れたさらしの布巾をそれで染めている人を見た)
牡丹餅おはぎの中身はもち米三割、こちらはお結びのように握るけど、春はまーるくつぶし、秋はやや楕円形、牡丹餅おはぎはいまだに母のやり方をつないでいる。餡が好きなので、一センチくらいの厚みの案に包まれている。小豆は大納言
疎開先で小豆の枝をたたいて種を出す作業を子供たちが競争でやっていたことを思い出す。疎開というのは今まで自分が生活していた社会と違うのでいろんな学びがあった
暑さ寒さも彼岸までという言葉も、そのころよそのおばさんに聞いたのだと思う