昨日の「チャコちゅうぶ」は中野裕弓さんとの対談
裕弓さんとは2か月に一回ぐらい会って朝から晩まで喋りまくっている
たまたま前に決めていた日が昨日で、だったらチャコちゅうぶをしようということになった
いつもは20時からだが昨日は18時から
それでもリアルに22人の訪問者がいてうれしい
彼女は声もよく話術も達者つまり頭がいい、脳溢血を患い半身がまだしびれているとは思えない闊達さ
五体満足のチャ子ちゃん先生の及ぶところではない
車いす生活、しかも不自由でありながらも一人暮らし、何でも一人でやり遂げている
で つい正常者と思ってしまい、腰重く手伝わないでいるが、あっそうだと気が付いたときは、もう目の前にお茶がある
病をもってより軽やかに生きている
昨日は新米が届いたので、そうだ栗ご飯ができるように栗をむいて一緒にもっていこう。裕弓さんは右手が動かないから皮をむくのは大変だろう。そこまでは「ひさこさんよくきがつくね」だったけど、後で思ったのは剥いた栗を今度は切るのが大変だろうと、帰りの電車の中で気が付いた。「相手の身になって考える」ことのむつかしさ、つい自分本位になっている
「チャコちゅうぶ」が終わった後、食事をしながら話をしていて
社会正義というものに対して、二人の意見が違った
「糺すべき」という教育を受けているチャコ世代
「流してみてどうしてそうなのか」を検証する裕弓世代
「わかった!ひさこさんが本当はもっとすごい立場にいるのが当前の人なのに、現実はそうなっていないのは怒りが原因」
世のために怒ることですら、怒りは財を遠ざけてしまうという
財はお金ばかりではなく、人、もの、思想などあらゆる宝
「それを認識していないから長生きさせられているのかしらん」
「しかも健康でね」
いろんなチャンスをいただきながら、それをモノにしていないのは惜しい。と厳しい
「宇宙は何でも上げたいのよ」
怒りを収めるのは「俯瞰」してみることかもしれない