足袋を履くようになって毎年木の芽時になると魚の目に苦しめられる
痛いのなんの
どういうわけか右足小指にしかででない
何か意味があるのかなあ
それは地唄舞を見た時だった、ローソクの明かりの中静かな舞が始まると、もう舞の振りより、足袋を履いた足の動きにしか目がいかない
足袋の美しさに驚嘆した。正確には足袋を履いた足運びの美しさなのだが、とにかく足袋というのはかくも色気があり、そそるものと凛とした感じが混在して魅力的だ。そして終わって懇親会に入った時、自分の足袋の姿に愕然とするほど恥ずかしく、今目の前で足首を切り落としたいほどの感情を持ってしまった
それからは足袋の旅が始まった
「誂え足袋」を知ったときはその時だ、足の寸法を細かく測り、一度はいて水を通し、そしてまた履いて具合を見る
その地唄舞の師匠に聞いてまずは新富町にある足袋屋へ、ぴっちりぴっちりと注文し、出来上がった足袋を履いた時のうれしさ、しかしあの地歌舞の師匠のような美しさにはならない
それから足袋や行脚が始まり、気が付いたときは「魚の目」で苦しんでいた
皮膚科にも行った、気合でとるという怪しげな場所でも取ってもらった、しかしみんな二年とは持たない
あまりの痛さに右足だけ伸びる足袋を履いたこともあるが、チャ子ちゃん先生の目が許さない
そして今は向島の「めうがや」さんにに
「恥ずかしながら魚の目が痛いので」
この部分だけ余裕を持った仕立てをしてほしい、と注文をして何とか切り抜けているが、それでもこの季節になると魚の目が元気出して伸びてくる
花粉症にに悩む人と同じように季節病だは
薬屋に足を運ぶと「魚の目ころりん」という張り薬があった。結構同病の人が多いのだとすっかり気が緩む
キチキチの足袋を履いたことで、つま先の循環が悪くなり、「いやだよこれ以上の締め付けは」と指の叫びだ
それ見しても地唄舞の師匠の足元の美しさはやはり憧れ
着物姿の完成は足袋の美しさだと思う
松本清張の短編にも小唄の師匠の足袋の美に惚れた男の話を読んだことがあるが、チャ子ちゃん先生は男目線なのかなあ。と思ってしまう
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