気温に翻弄されている
明治の衣服礼で「衣替え」の規制があった
6月から夏物、10月から冬物
これらはすべて「制服」を着る人に当てたもの
その当時は軍服、学生、官吏、駅員、車掌、郵便配達、使用人など、定められた衣服に手を通す人たちに決められた法令だ
それがどういうわけか終戦後、あちこちにきものの着付け学校ができた時、きものも6月から単衣、10月から袷という衣替えを作った
そしてその決まりをまじめに守っている人が多かった
昨今でもまだその教えは生きているようだ
きものの衣替えは本来6回あった、それだけ日本の気候は精密だったということ
綿入れを着る、綿を抜く、重ね着をする、単衣になる、薄物になる、素材を麻に
などこうやって気温に合わせて細かくきものの仕立ての種類、素材の種類を変えていた歴史がある
そして目安は四立、立春,立夏、立秋、立冬、それに二分春分、秋分などの暦が参考になっていた
きものが日常着であったから、そして自然を友にしたからこのような衣替えが行われていたのだろう
温暖化といわれる昨今にこの習慣はそぐわなくなっている
というよりもっと前からおかしいのだ
酷暑の場合逆に体全体を布で覆う方が涼しいということがある。これは熱暑の国の人が頭から布をまとっている姿でわかる
しかしまだまだ規則を守りたい人たちがいるらしい
そういう人を「きもの警察」と呼んでいるのだと若い方に聞いた
着方も工夫をしている方が多いけど、夏は細帯姿が一番季節にあっていると思う
細帯の生産を提案したたら「そんなん帯が売れなくなりますわ」と一蹴された思い出がある、自分で作るしかなかった
今宵20時から「チャコちゅうぶ」
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