時代劇を見ていると、旅人が宿に着いたら足を洗っている場面が必ず出てくる
道路を歩く長旅で足の汚れと疲れをとる一番いい方法だし、旅人もやっと心からくつろげる時間を得る
整体に行くとまず足を温めマッサージをしてくれる
街には足を洗うお店が方ぼうにある
温泉地に行くと駅で「足湯」に入れるところもある
足は第二の「脳」と近代医学では言われている。この足のツボが人間の体の中で最も大事で、あらゆる臓器と連携している。一時足裏診断という怪しげな占い師がいて、とてつもない料金を取って、足の汚れ具合でその人を占っていた、何かあってしょっ引かれたらしいが、言ってることはきっと正しかったのだろう
足を洗うことで最も有名な場面は新約聖書にある
イエスキリストが明日は自分の命は取られると察して、弟子たちの足を洗う話がある。弟子たちはなぜ「師」が自分の足をあらうのかが理解できない。その質問をする
「このことはあなた方はのちに悟るでしょう」
更に
「洗っているのではなく全身を清めているのだ」
ともいう
自分を裏切ることになる「ユダ」に対しても、イエスキリストはわかっていて彼の足を洗う
ペテロは
「命の続く限り師についていく」
というが
「あなたは朝(とき)を告げる鶏が鳴く前に、私のことを三回知らないというだろう」
と告げながら足を洗う
この弟子たちの足を洗うイエスキリストは、弟子たちがその後神の福音を悟ることを知っていて体中を清めているのだ
中に一人の弟子が
「足だけでなく体全体を洗ってほしい」
とイエスキリストは
「足を洗うことで全体が清まる」
日本には「足を洗う」といって別の自分になったことの証に使うことが在るが、この言葉は結構深い意味があるのだなと今更ながら知る
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