年々お正月の晴れ着姿が見られなくなっている
特に今年は自粛とやらで初詣の参拝者もすくない
大きく世界に目を向けないと自分自身の生活がおかしくなると思う
歴史の生き証人として世界から目が離せないし、日本の国体について考えてしまう
そのとき
着物に学んだ様々な日本の文化の尊さを、骨の髄までしみとおるほど尊いと思う自分がいる
着物に託した職人たちの文化度の高さ、美的感性のすばらしさ、その着物を着る人々の自己表現の品格の高さ
こういうことがいあいまって日本人の崇高な精神を作り上げていると思う
生活者としての誇り高き日本人の魂は着物という総合芸術の中に見ることが出来る
しかし
最近はこの宝のすばらしさを忘れ果てている日本人が多いことも確かだ
昨日チャ子ちゃん先生の前を羽織にえんじ色のビロードのショールを肩にかけた婦人が歩いていた
美しいなあ
と思いながら観察、そうその美しいと感じたところは「振り」のかさねであった
振りからは長襦袢の袖、着物の袖、羽織の袖の裏の三つの色が重なりその上に羽織の色が来る
着物は紺地の紬、羽織は藤色の江戸小紋のようだ。それだけでも美しいのにさらに振りの色重ねが素晴らしい
長襦袢は薄藤色、着物の袖裏は藤色(羽織と同じ色)羽織の袖裏は薄牡丹いろ
その振りの重ねに目が点になり後ろからついてあるく
通りすがりに
「素晴らしい色の重ねに見とれました。ありがとうございます」
と挨拶したら暖かいやさしい笑顔がかえってきた。その婦人から離れようとすると
「あのー失礼ですがナカタニ先生ではございませんか?センセイに褒めていただき嬉しいです。ありがとうございました」
へー私って結構ユウメイなんだわい。と馬鹿みたいにニコニコしてしまった
それにしても
この着物の形を考えた先人たち「着物美学」をどこまでも追及できるよういるのだなあ、あらためて感心する
「振り」の大切さ、それは寸法という問題もあるなあと思いながら電車に乗っていた
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