自分で作った苦しみ、じぶんで引き寄せた悲しみ、大体負のほとんでは自分が作っているね、悲しみ苦しみは同情してもらえるもの、人の情けが欲しいときは弱っている自分をさらけ出すといい
悲しみや苦しみは誰でも一緒に分かち合ってくれる
しかしそれは日本人だけの特質で、他国の多くは弱みを見せると徹底的にたたきのめす
でも相手の喜びを心底一緒に喜んでくれる人はそんなにいない
それが出来る相手は心からの信頼がある相手
明治の文豪たちは、自分のもつ卑しい心、人をうらやむ心、人をさげすむ心をどうやって清き心に出来るかの小説を書き続けている。小説が哲学にもなっていた
「魂を磨く」というのが日本人のテーマでもあった
最近ジャック・アタリという人の話に感動する日本人が多い
日本のマスメデイアも持ち上げている
彼が話してるのは「利他の心」なのだが、日本人の根底には昔から他人が利することを喜ぶ、という心がある。
それがいつの間にか自分さえうまい汁を吸えればいいという感覚の日本人に育て上げられ、他国の人が「利他の心」の話をすると感動する。というより日本人なら自分の奥底に眠っている感覚と同調するのだろうか
善と悪とに分けてしまうのは簡単だが「その中行く心」という言葉があるくらい、「中道」を歩むのは思慮深さがないと無理
あっちが悪い、こっちがいいとじゃんけんで決めてしまうような単純さは、本来日本人の魂の中にはない
いいわるいはとことん話し合い、最終的には人生経験豊かな長老が判断する
そういうコミュニテイがこの国にはそこかしこに存在していた
相手を好きな理由、嫌いな理由とことん煎じ詰めることを突きつけられているのが、今の状況ではないだろうか
本来の思慮深い日本人に戻るのは「自分で考える」ということになるのかな
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