コロナウイルスの影響で大きな集まりの行事が自粛され始めた
東京マラソン、天皇誕生日、コンサートなどなど。その中で毎年日本語学校の卒業式で着物の着付けの仕事があるのだが、これは吹っ飛んだ。中国人留学生が多いことと、船をチャーターするので今はちょっとネーー
そうこうしているうち100人単位で集まるチャ子ちゃん先生の講演会も中止。学校の卒業式も危ない雰囲気。経済的に打撃を受けるが、この空いた時間をどう過ごすかで、次に飛躍できる気もする
人は生きている限りいつも危険にさらされている。危険の中でいろんな知恵が生まれた。その究極は自然を見ることであった。月や星の動き太陽の位置などで人はいろんな道を見つけたのだ。
何かが起きると人工的であると思うが、それは宇宙を動かしている大きな力を持った方の意思が働いている。だから何も考えないでその意思に従いうのが賢明なのだ。何も考えないというのには語弊がうまれる。宇宙の意思が何かを探ることが必要で、ぼんやり依存をしていればいいというものではない
今この時期にコロナウイルスが世の中誕生、なぜ?と考えたとき、コロナウイルスの性質をよく理解すれば、免疫力を持った人間には寄り付かないとある。免疫を上げるために私たちは何をしたらいいか?
衣食住を改めて見直すと、私たちは宇宙から与えられたものに自ら加工してややこしい化学物質を加え利用していることを知る
日本各地の休眠田をみんなで使えるようにすれば自給自足は夢ではない。世界で一番農薬を使っている日本の農業の在り方も考え直さなければならない。土に戻らない衣服を着たり、そういう家に住むこともやめる。宇宙が与えたものはすべて循環ができて次の命を育てる要素を持っている
コロナウイルスは
人に本来の宇宙意思を伝えるために沸き上がったものではないかと思っている
そういう生活をしていた兵器なしの縄文時代は2万年近くも続いている、最近の遺跡発掘では3万年も続いたという歴史証拠も出ている。私たちは何か踏み外している。その何かをこの騒ぎの中で見つけ改めて、美しく生きていきたいと思う
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