右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい。と聖書にある。高校生のころこの文章を読んで父に
「頬をうたれないように、行動をすればいいんでしょう?」と言ったら
父は呵々と笑い
「ヒサちゃんは大物だ、その違いが大人になったらもっとわかるよ」
右の頬を打たれたら左の頬をさし出すって偽善ではないの、其れなら打たれないような人間になればいいのだわ
とずっと思っていた。だから人に打たれないようにしようと頑張った
そしてある時父の言った意味を理解した
打たれないようにと用心することは無抵抗ではなく、自分の欲求や真理を、気持ちを抑えることにもなってしまう。そうするといつも本当の自分が出せなくなり、権力者や力を誇示する人たちに対してただ唯々諾々としたがうだけの人間になっていき、自分の道でなく、人の道を歩んでしまう
右を打たれて左もどうぞと自分の意志で相手の暴力を止めることが出来れば、それは相手の進歩にもなっていくのだ。それが「愛」であり無抵抗の神髄なのだろう
人の歩むみちって深いなあとつくづく思う
自然の草花から「自分」の立ち位置を教わることの多い日々だ
恥ずかしいことをいっぱいしてきたけど
ひとを傷つけ、自分も血まみれになってきたけど
そのすべてが「今」の私を作っている
そのようなことを思う秋の風
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