もう40年以上前のこと、常に一緒に組んでいた仕事をしていた写真家の息子が
「ボク夏休みに毎日同じ時間同じ場所の雲の写真撮ったんだよ」
と見せてくれた.ボクはその時小学校6年生だった
「見せて」
雲は毎日違う姿だった、ある時その息子と話をしたことがある
「飛行機に乗ってるとね雲が下に見えるのよね、その雲に乗ってみたいなあと思うのね、気持ちいいだろうなあって」
「フーン僕はまだ飛行機に乗ったことないけど雲が下に見えるんだ」
「そうなの信じられないでしょう?雲はいつも見上げているんだものね」
「フ――ン」
と二人で庭に出て雲を眺めていてこの会話が出た、その時彼は小学4年生だったと思う
「ほらナカタニさんと雲の話したこと覚えてる?」
「そうだったわね」
「あの後ボクの誕生日に”ノンちゃん雲に乗る”という本くれたでしょう?」
「ああそうだったわね」
「ボクあれからずーーと雲見てんだよ、そいでね小学校最後の夏休みの宿題に雲の写真撮ったの」
「毎日大変だったでしょう?」
「まあね、でも楽しかったよ」
「何感じた?」
「毎日形が違うんだよね、動物の顔だったり、鳥の形だったり、色もね色も変わるんだ、雲は白だけではないね、雨の日も雲はちゃんと動いてるよ、すべてすべて同じではないということ、すぐ流れていくからつかめないよね、形も秒単位で変化するんだ、だからきちんと見なけれないけないんだよ」
「きちんと見る、ということを感じたのね」
「そうだな、うんそうなんだよ」
人の毎日も同じ、一日を過ごす24時間は一緒だが毎日違うことが発生する
雲という本体は変わらず形が変わる、人の毎日もしていることは同じだが、思いや考えで同じことが違ってくる
久しぶりに降る雨脚を見ていて、少年の雲の写真が頭を横切った
そう毎日違う時間を過ごしていることが生きているということなのだろう
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