竹の怖さを知る人はいない
吉祥文様としてきものにはまた什器にも絵画にもよく使われる「松竹梅」食べ物屋さんで
「松竹梅なんにしますか?」
だいたい皆さん「竹」と答える
その竹なのだが竹の根と格闘している人は多い
地盤を強くするために山際にはよく竹を植えている、竹林の中にいると自身も家事も怖くないとは幼いころ大人に教えられた
防空壕というのを掘るのだが、竹林のふもとに掘ると安心だと言っていた
竹はタケノコができる、タケノコを人間に食べさせて竹の根がお邪魔しているところを「ごめんなさい」と言っているのかしらん、なんて思う。そういえばパンダという動物は竹の葉が主食だ、昨日上野にいたシャンシャンがタケノコをかじっている姿を動画で見たが、竹の葉だけであんなに大きくなれるのかと感心する
桑畑によく行くが竹林のある所は、その根っこに悩まされている
昔の桑畑は竹林が近くにある場所では栽培はしなかった。生産者はよくわかっている
能登の山奥にある桑畑も竹を避けて栽培していた。しかし今はそこは栗畑になっている
植物の性格を知っていた先人たちは何がこの土地に適しているかがわかっていた。土と環境の共存共栄ができていたから、日本の自然は調和していたのだろう
日本人ってほんとうに素敵だと思うのは、こういう根を張りすぎる竹の性質を「上にまっすぐ伸びてすばらしい」と吉祥文様にしてしまう。地下で図太く根を張っている姿より、涼やかな竹の姿をめでる。「いいところを取り上げて伸ばす」という人の教育方針にも似ている
松もくねくねしてあちこちに落ち葉を作る、しかも葉っぱにとげがある、それでも常に緑で永遠の命をめでる感性が日本人、最近は松の葉茶としても愛用されている。梅は言うに及ばず花は美しいし香りもよく実もなる
吉祥文様はただめでたいのではなく、めでたい影に人を脅かすものがあり、それを逆手に取ってほめたたえ感謝する
タケノコ堀を眺めながら(自分ではやらない)思いを巡らせ、おいしくタケノコをいただいた
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます