チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

高校生活

2021年04月09日 10時51分21秒 | 日記
日本に来ている高校の留学生が自分の一日をFBにあげたのを見た
世界中の子供たちが「うわー楽しそう日本に行きたい」というコメントが殺到したのだという
何が興味を呼んだかと言えば
集団登校や自転車登校、ホームルームだったり、部活だったり、お昼休みの団欒、修学旅行だったりという団体での交わりのようだ。制服があるのも新鮮だったらしい

チャ子ちゃん先生の高校時代から見ると、随分規制があり、戒律に身動きならないように思うが、それでもよその国から見ると、人との交わり方がうらやましい。ということのようだ

いろんな世代の人たちが様々な高校時代を過ごしていると思う
戦後すぐ新制高校というのが出来、女学校と中学校が一緒になり、男女共学となった。
小学校の上が女学校だったり、中学校だったので6,3,3制という学校教育はなじみがなかった。
日教組が確立するまでは、教える側も右往左往していたと思う。一番その嵐を被ったのは昭和一桁までの世代だ

義務教育が中学までとなり(それまでは小学校)教える材料もそれぞれまちまちだったのだろう
そんな中、全校生の朝礼、運動会、学芸会、ハイキング、修学旅行など、人との交わりの中で人間形成をしていくという方針が根付いたようだ
それが今でもかすかに残っているので、他国の子供たちにとってみると、珍しいし、他の思想と映るのだろう。いい方向に行けばワンネスだが、間違うと一方方向という、今のようなマスク人間、ワクチン人間に育っていく

チャ子ちゃん先生の高校時代は、ちょうど端境期にいて、自由にのびのびと過ごすことが出来た
とにかく毎日、知恵を振り絞って歓喜できることに集中していた
面白くない授業は全員でボイコットなど当たり前
それが「漢文」だった。何年も同じ内容のノートをただ読んで、黒板に長々と書くという授業。教師が書き始めると勇士は窓から逃げていく

テストもずっと同じなので、兄に聞いて丸暗記していくと100点が取れる。しかもこういう問題が出るらしいと仲間に教える
(この時、変に中国思想を植え付けられないでよかったと今は思う)

国立の大学に行く生徒、私立の大学に行く生徒、短大や職業校に行く、家庭に入る、職人になる。というような将来の目標を定めて、クラスが分かれていた。特殊なクラスは、女子大希望者とまだ進路の決まらない女の子は一組にまとめられていた(私はその組にいた)県立なのにこういうクラス編成が出来たのはよかったかもしれない

日教組が出来て教育が一律になって楽しくなくなったが、それでも今もなお、日本の教育にあこがれる海外の子供たちがいることに、何かほっとするものを感じる





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