チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

あえてお知らせします

2013年08月17日 10時37分21秒 | 日記
お世話になった方の癌闘病の知らせが届いた
一瞬涙があふれた
お世話になったアレコレが思い出され
中谷に報告をしなければいけないのに
言葉が声にならない

「別に宣伝する必要も無いけどチャコさんたちにはお知らせしとかなきゃあ」
そうどれだけお世話になったか
すぐお会いしにいく

お互いに忙しさにかまけて
お互いに元気だと思って
お互いに病気などしないと思って

そうしてお互いに老いて行ってることすら忘れて

ある意味人は「のーてんき」
ご恩返しが出来る間に一生懸命相手を敬わなくてはと思う

この方からいただいたと言うより取り上げた
イタリア製のスポーツバックがそういえば完璧に壊れたのが此の三月
その月に宣告を受けたのだという

バックを元の姿にしようと
早朝バックやさんに行ってきた
元の姿にしてまたご本人にお見せしようと思う
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宇宙の支持・指示

2013年08月16日 08時59分04秒 | 日記
宇宙は指示もし支持もする
昨日はそういうことをテーマに友人と4時間語り合った

あることがきっかけで
チャコちゃん先生は感情に走る自分をもてあました
そのことを電話で友人に告げると
「顔を見ながら話し合いましょうよ私も自分の感情をまとめたい」

夕方涼しくなって外の樹の葉が風にそよぐ様子が見られるテールームに集った
ストーリーを話した後
「では宇宙はなぜいまそう言う問題をチャコさんに提起したのだろう」
「なぜ?」
と言いながら二人で検証をし合う

起きている問題に
「なぜいまなの?どうして私なの?」
と突き詰めていくと
何故にチャコちゃん先生がそう言う問題と取り組まなければいけないかが明瞭になる

「ちょっと前までは宇宙は支持をしてくれると思っていたけど
それだけではなく指示もするのね」
と二人で納得

そのことが起きる前に頭を三回打った
右手小指の突き指もあった
そのときから指示がきていた
だから何にが始まるのかと思っていたら
感情に走らず「丹田に居ろ」と言うことだったのだ

感情というのは外側で波のような物
大波小波その波に翻弄されていると岸に行くのか果てしない大海原に漂うのか
自分の意志なんてそこにはない
感情だけしか無い
だから波にもまれて苦しい

しかし丹田という海底は常に穏やかで波立ちもなく
澄んでいるので外側で起きることがすべて見渡せる
自分の立ち位置もよく分かる

「なるほどね二人で検証し合うと解決早いわね」
といいながら灯籠流しに出向いた
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草抜き

2013年08月15日 09時19分46秒 | 日記
毎朝日の出前までの1時間スカイガーデンで草取りをやっている
見て見ぬふりをしたので膨大な草の量に笑ってしまう
草にもいろんな表情があり
カラーの植わっているところでは
何もかも背高のっぽの草
ひょろひょろとのびている

「何競争してるの」
と言いながら抜くそうすると根は張っていないので
「降参」とばかりすんなりぬける

ところが横にはっている草はしっかり根を張っているのでなかなか抜けない
自己主張が強い
自分のフイールドを持っているのだ
その地に根を張ることのすごさを教えてもらう

全部抜いてお日様にあてカラカラに干した後腐葉土にする
そのうち役立つわけだ無駄にはならない
ドクダミは乾燥させてお風呂に入れる
温まって熟睡できるね

ミントもお風呂に入れる香りが良くて何だか幸せ
ドクダミもミントも抜いても抜いても必ず生えてくる
強いよ本当に強い
しかも人様に役立つのだから大手を振っている感じもする

休み中の早起きはきっと体も心も浄化してくれるだろう
こんな夏休みは初めてかもしれない
      
友人達が此の暑い最中の昼間遊びに来てくれて
旧交を温める時間もある
電話は夜8時に打ち切っているので顔を見ながら話し合うのが一番ステキ
いいなあ
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風立ちぬ

2013年08月14日 09時17分20秒 | 日記
此の映画の印象的な台詞
「飛行機は飛び立ったけど一機も戻らなかった」

堀越二郎さんはただただ美しい飛行機を創りたかった
そして完成
青空に舞う零戦の美しさ
創る人とそれを使う人の精神的なギャップ

これはどんな世界にも言える気がする
我が呉服業界では
創る人の思い、売る人の思い、着る人の思いが全く違うことが多く
このように
「一機も戻らなかった」
と言う創った人の深い悲しみが起きる

一番神に近づく方法はクリエイトだとよく言われる
それは大きな物を創ることも
また愛しい人に創る料理でも
神と近づくことが出来るのではないかと思う
どんなときも創造と言うところに神はいらっしゃる

完璧に美しい零戦だったと思う
その傷ついた零戦をワシントンDCで見たときの胸つぶれる思いは今も残る
アレガ戦争という物だろう

零戦に乗って飛び立った兵士は零戦と共に空中で散った
その飛行機の残骸を今でもアメリカでは展示している

そう言う苦渋を味わっても
堀越さんや私たちは
「風立ちぬいざ生きめやも」だ

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「少年H]と「風立ちぬ」

2013年08月13日 09時57分20秒 | 日記
チャコちゃん先生やることに際限ないから
昨日は二本の映画を見た
まず9時30分から「少年H]お昼をはさんで「風立ちぬ」
家に着いた途端雷雨
忙しい日だ

「少年H」は良く出来た映画
ややもすれば客を「風立ちぬ」にとられているが
じっくりと家族を考え更に父親というのは此の世の中でどういう位置にあるのかが鮮明
此の父親を水谷豊が本当に良い味出して演じている
お母さん役の伊藤蘭もアノ時代を少し見ているチャコちゃん先生にとって
昭和のお母さん

遠くの山にいて街が燃えさかり空が真っ赤になっていたのを
母がそれを見せまいときものの袖で私の目をふさいでいたのを思い出した
あの頃の父や母たちはみんな落ち着いていた

父は真っ正面から戦争反対を言っていたので
家には憲兵がいつも居た
若い憲兵でチャコちゃん先生の遊び友達だった
町中のみんなが戦争礼賛で一色になって居るとき
一人反対を唱える父に対して風当たりは強かったと想うが
そこを母は上手に取り仕切っていたのだろう
とにかく気遣いの天才だったので

誰も父を誹謗する人もなく防空壕を庭に掘るときもみんなが助け合っていた
玄関に爆弾が落ち防空壕の蓋が爆風で押され
親子三人窒息死する寸前兄が帰ってきて近所の男達の手で蓋が開き
命拾いをしたのだと後で聞いた
防空壕を出たら家は勿論街の姿もなく
このときも母は私の頭をすっぽり布で包み負んぶして逃げた

責任を持ち覚悟を持った親が此の時代には居た
そう言う親を映画で見せてもらった
子供もしっかり社会の様子を観察し
自分がどう生きていくかを見定める
それもきちんとした両親が居てからこそのことだ
親の役目を改めて考えさせられ
親不孝の限りを尽くしたチャコちゃん先生「父と母にあいたい!」とつくづく思った

父が「大本営発表はウソばかりだから聞く必要は無い」
とラジオを切っていた姿
それが今此の社会にも同じ事が起きていると思うと
何とも怖い
今の情報に振り回されるとアノ時代に戻っていく

明日は風立ちぬ
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夏休み

2013年08月12日 08時28分47秒 | 日記
予定はスカイガーデンの雑草取り
しかし初日の今日はや挫折
目が覚めたら6時でスカイガーデンに付いたら8時
太陽が燦々と降り注いでいて
その様子を見たら一気に気が失せた

昨日のよるとうもろこしが北海道から届いているらしい通知
では今日はそれを一日待っていなければならないのかと
書類の整理もあるし
雑用は室内だからてきぱきとやれば良い
こう言う日しか雑用は出来ない

と思いきや
気持ちははや「風立ちぬ」を見たい
「少年H」を見たいとはやっている宅急便の再配達の係りに電話を入れ
夜配達してもらう事でチョン

ちょうど近々声楽のレッスンにも行くし友人にも会うので
手土産に持っていこうと
しかし
明日こそ雑草刈りをしなければ
本体の薔薇の木が雑草に埋もれて悲鳴をあげている
途中までは共存していたのだが
かなり図々しいミントにやられてしまっている

お願い明日まで待って!
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振り回されたチャコちゃん先生

2013年08月11日 16時49分59秒 | 日記
ここ何ヵ月間かある事に振り回され
自分を見失いそうになった
見失いそうな自分を客観的に眺めて
何とか元の通りに体制を整えようと想ったが
ナカナカできることではなかった

頭をぶっつけたり
指を捻挫したり
宇宙の流れにドウモ乗れない自分がいた
「ガ」がでて自分を苦しめる

気持ちを安らかにするための本を読もうとするが
目がうわずって活字が拾えない
何となく本箱を見ていたら
「私が変われば周りも変わる」

今から16年前に出版した中野裕巳さんとチャコちゃん先生との共著が
キラキラと輝いて「読みなさい」
と言わんばかり

早速手にとって読む
そして落ち着いた
チャコちゃん先生はそこに自分で書いた「無条件の愛」と言うことを忘れていた

蚕に教えてもらった無条件の愛
いつも人に語っているのに
自分の中ではどこかに置き忘れていたのだ

良い本だった
おすすめなかなか良いよ
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床屋でカラーリング

2013年08月10日 09時29分16秒 | 日記
床屋に女が行ってはいけないという決まりは無い
そこで意を決してホテル内にある床屋におそるおそる顔を出し
「あのー髪を染めて頂けますの」
「もちろんですどうぞ」
と行き始めて3年

タイミングが大相撲のある月になってしまったので
予約を取るとテレヴィ付の個室を用意してくれて
一人で行儀悪く
「だからあなたはダメなのよ隠岐の島!」
などと言いたい放題で髪を染めてもらっている

値段も美容院の三分の一しかもこの通りの優遇
つまり女の客が少ないので個室を使わせてもらえる
値段は一緒なのでお得だ

さらに床屋さんは腕がいいですね
ホテル内の床屋はいらっしゃるお客が紳士なので
なかなかの腕前が必要だ
特に一流企業の社長とか専務更には都知事までもが現れているらしい

チャコちゃん先生はそういうお偉い方と遭遇したことはないが
紹介した友人によるとそこそこの紳士によく合うという
そういう方はヘイシャルや耳掃除、ヘッドマッサージなどをしているのだそうだ
そうだマニュキアも顔そりも
アラ本来は顔そりが床屋の専門

昨日は風邪をひいていてとても疲れていたので
はじめて床屋のヘイシャルを受けた
何をどうされたか全く覚えていないほど熟睡してしまった
「肌が疲れていたので風邪も引いたのでしょう」って

ついでにカラーリングをお願いした

そして支払いはいつも美容院でカラーリングだけに支払う料金の半額だった
毎回この床屋にすればいいのだけど
ここの担当者が
「ナカタニさまのカットは誰でもできるものではありませんね」
うちではそういうカットの腕がありません
とおっしゃるので両方のいいとこどりということになる
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夏風邪

2013年08月09日 09時53分44秒 | 日記
朝からだるいし頭が働かない
熱もあるようだ食欲もあまりない
この「あまりない」というところがみそ
チャコちゃん先生は少々の熱があっても食欲だけは決して落ちない
時々その欲に慄然とする時がある

ボケが始まったら
「私は朝から何も食べていない」
と一日5食くらい平気でしそうだ

前に手術をして点滴の針が痛く
「先生私きちんと食べますから点滴はやめてください」
と懇願し承諾してもらったことがある

食に欲があるので風邪くらいでは食欲はおちない
夏に洋服を着ると必ず風邪をひく
この因果関係は胴いう事だろう
察するに洋服の時の方が冷房に当たる頻度が高いからではないかと思うがーー

しかし昨夜は9時に寝て
しっかり寝汗をかき今日はもうほぼ完治
ありがたい
これが小学校時代は病気の問屋だったのかと信じられない
このように健康になったのは
きものを常時きるようになってからだと思う
食と衣かなり注意している
住は都会に住んでいる限り思い通りにはならないが
それでも自然に近い暮らしに努力をしている

風邪をひいてみて
やはり健康が一番大切だと思う
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手作りとーふ

2013年08月08日 09時40分52秒 | 日記
10年くらい前までは手作り豆腐の店はここかしこにあった
新宿でも大ガードの傍に手作り豆腐屋さんがあって
そこの豆腐屋さんが毎朝ピーポーピーポと笛を吹いて売りに回っていた
まだ本当に10年前だ

我が家の近くにも手作り豆腐屋さんが2軒もあって食べ比べしていた
そのうちの一軒は日経新聞の記者さんの実家で
「朝駆けを得意ですよ」
と笑って水にテを入れて豆腐を掬ってくれていた
そう豆腐屋さんは朝3時から起きている
朝駆け得意になりますわ

でもそれらの豆腐屋さんはみんな姿を消して
豆腐をデパ地下で買う羽目になってしまった
そうするとどうしても買う回数が減り
豆腐との縁が薄くなる
豆腐はからだが冷えるので夏にはもってこいなのだがーー
冷や奴は夏の季語でもある

月一回我が大分の上野丘高校の同期会が行われているのが四谷
多いときで15人ぐらい集まって賑わっている
その居酒屋の隣に今時珍しく手作り豆腐屋がある
いつも買って帰ろうと想うのだが
帰るときには締まっている

それで昨日久し振りに顔を出すことにしたので
タッパーを持ちケーキの入っていた紙袋持参で勇んで出かけ
木綿豆腐を二丁ゲット
「氷を入れておきましょう」

皆の待っている居酒屋へと入ったら
この会の主催者だったkクンが7月27日に亡くなったと聞かされ
「えっ」
と驚いて紙袋を落としかけたらこの居酒屋の主人がナイスキャッチ

kクンは大毎オリオンズ時代の花形選手で
我が高校唯一のプロ野球選手だった
体もがっちりしていていつも明るく朗らか
病とは全く縁のない人だと思っていた

今年の春も元気だったが何か影を感じたので
「どこか悪いンじゃあないの?」
と聞いたら
「女房が入院していてね」
という
チャコちゃん先生も顔を出さなかったけど
彼もそれ以来顔を見せなかったのだそうだ
お葬式は家族だけで行ったとか

いづれ納骨が終わったらみんなでお墓参りしようということになったけどーーー

豆腐好きのk君を思い出し
カナシイ冷奴を皆で食べた
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