チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 342

2020年06月18日 19時19分04秒 | 日記

野田幸子さん主催の「カラリアム」の中で「チャ子チャンネル」を作って下った

着物から学んだ日本文化の数々をお話していく番組

チャ子ちゃん先生最もやりたかったことで、ここでご縁を作ってくださった幸子さんに感謝

今日は「中浦和」のひとみスタジオ(権田ひとみさんのスタジオ)で三つの話を40分ずつ話してきた

 

日本人のルーツ

日本人の知恵

日本人の習慣

 

初めにお断りをしているが、すべてチャ子ちゃん先生の独断と偏見

でもご本人はこれが一番正道だと思っている(なんと図々しい)

 

先日の第一話は「日本人の品格」調子に乗りすぎて1時間もしゃべってしまった

 

これらの編集は野田幸子さんの息子さんがなさる。親子で同じ道を歩むっていいなあと思う

20代の息子さんに「面白い?」と聞く

「面白いですよ、知らないことばかり、日本を見直しますよ」

こういう言葉にすっぐ調子に乗るチャ子ちゃん先生

「編集もする必要がないみたいですよ」

なんと喜ばせてくれる言葉

 

美しくて優しい青年に乗せられて舌の滑りも快調

しかし

着物っていう御方はなんといろんなことを内蔵しているのでしょう

次から次へと日本の文化を余すことなく教えてくれる

それを伝える場所が出来たことがこれまたうれしい、きっと着物のおかげ。どんどんと道案内をしてくれるのだ

生きていることの楽しさを教えてくれる

感謝しかないなあ

 

日本人が失ったもの

日本人が忘れているもの

着物はそれらもきちんと差し出してくれる

そういうことを余すことなく伝えるチャ子チャンネル、編集が終わり次第予告するつもり

 

とととその前に6月25日は「ライブ」をすることが決定

これは長い取材生活の中でいろんな女性に出会ったチャ子ちゃん先生の女性論になる模様

コロナ以降の過ごし方に参考になればいい

このタイトルも30代の女性から出てきた

 

どの引き出しにもいっぱい伝えたいことが在る、そのすべては着物が教えてくれたこと。蚕から学んだこと、そこを外すわけにはいかない。だから独創的で面白いかも

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スマホが世界を変えた

2020年06月17日 10時04分10秒 | 日記

変化変化の時代を過ごしている一生だなあ

まず戦争が敗戦に終わったそこで上下がひっくり返ったのを見た

男と女の世界が変わった

教育が揺れた

安保闘争、学生運動とみてきたが革命までは起きなかった、だって中立とかノンポリでというのが存在したもの。革命は二極しかない。中立はどちらにとっても敵だ

 

高度成長そしてバブルで踊る人々をたくさん見てきた

バブルの恩恵は何だったかな?飛行機に乗って札幌ラーメンを食べに行ったり、バカ騒ぎのパーテイで疲れて体壊したり、お金を湯水のように使う人達をたくさん見た。お金がわいてくるのが不思議だった。テレヴィの普及で日本中が都会化へ

 

FAXの機械が届いたときはびっくり、文字が宙を行きかうなんて信じられない

しかしすぐ携帯電話の登場、お弁当箱のような携帯電話はまずその筋の方が持ち歩いていたな

ポケットベル、あっという間にパソコン、携帯、そしてスマホ

 

このスマホが世界を変えてる

スマホ一つですべての用が済む。それだけではなく証拠が残るので「嘘」は付けない

世界の指導者もこのスマホには勝てない

香港も民衆のスマホが勝利した。あれはまさしく革命

 

スマホの真実が人の意識も塗り替えている

面白いことが東京で起きつつある

 

都知事選に山本太郎さんが立候補

古い人たちは行儀が悪い、常識がない、恩義を知らないといって毛嫌い

支援者は生活者目線でいい、きちんと彼の記者会見を聞いてほしい

若い人はもう今まで通りでいいでしょう?と現知事を支持

 

どういう結果になろうとそれが今の真実

 

電通中抜き事件もスマホが広めた

利権に群がる人々もスマホがあぶりだしている

事務方が出来ないことはもうAIに任せなければという意見もスマホが広げている

スマホも今後腕時計のような小さいものになるらしい

 

刻々と変化する時代を自分の軸をもって生きていく、ずっと続いた時代の変化は軸のお定まった人が、時代を理解しながらも、それに流されず自分のステージをしっかり守っていた

 

そういう人もたくさん見てきたな

 

 

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着物が繋ぐもの 341

2020年06月16日 10時29分40秒 | 日記

いままで、いい子ぶって長い間黙っていたというより黙殺していたことが在る

それは「蚕」関連「絹」関係

絹に黄変加工はやめてほしい

絹に防水加工はやめてほしい(雨ゴートは別)

絹に防縮加工はやめてほしい

絹に対してあらゆる加工はいらない

 

蚕が糸を吐く前に自分の体の中の物を全部きれいに出してしまう。それから糸を吐き始め繭を作る。その姿を一度でも見るとその崇高な姿にただただ首を垂れるしかない

子供たちが夏休みの宿題で蚕を飼育するという教育が今でも行われているが、先生や父兄はこの蚕の最後の姿を特に注意深く見るように言ってほしい

自分の命のすべてを「糸」に託した蚕の想いを、人間は簡単に「自分の欲」から「糸」を見てしまっている

この糸を大切に思うなら、ケミカルな加工をすることが蚕に対して冒涜だと思わないだろうか

そのように思いながらずっと声を大にして言わなかったチャ子ちゃん先生は卑怯だし、臆病者

 

キュウリを曲がったまま食べたくないといって農薬まみれにさせること

ブドウの種が邪魔だといってブドウの種を化学的に消してしまうこと

夏ミカンがすっぱいといって遺伝子を替えて甘くする

お米も改良を重ねて糖分が多くなってしまった

外国の種を最優先して育て日本の土地に合ううようにするので化学肥料が必要な土地に変化

 

数え上げたらきりのないほど人間を甘やかし、都合の良い作物作りを続けた結果、当の人間は病気まみれのからだになり、今度は薬漬け。自分から発した悪癖が自分に返ってきただけの話だが、誰かがしっかり真実を語り続けなければこの国はどころか人類の滅亡になってしまう

「地球の人口を減らすことが目的」のウイルスやワクチン問題は今ここでは問うまい

 

絹の加工のこと一つ言えなかったチャ子ちゃん先生は忸怩たる思いをもってここ何年か暮らしていた

気分が滅入っているので業績も悪くなり、あれよあれよと流されていく自分を押しとどめたのはやはり「絹」

「最近のお宅の絹は体が炎症を起こします」

ピュアな人のこの一言。よくよく調べたら黄変加工の絹を最近湯文字に使っていた。

「絹はタンパク質なので黄色く変化するのは当たり前です」といい続けてきたが、白生地業界では黄変が加工が当たり前になってたいたのだ。そういえば最近の新しい半襟で首がかぶれることが在った

「植物染料で反物を染める場合加工した生地を元に戻すのは大変な手間です」

という言葉が素通りしていた

 

糸染めは糸を加工をしていないのでいい、布染めの職人さんたちの声をもっと真摯に聞かなくてはいけない

足元からぐらぐら崩れている第一次産業、これからの日本を立て直すには「ここから」だ

 

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着物が繋ぐもの 340

2020年06月15日 11時01分22秒 | 日記

梅雨の時期の着物はかなり頭を使う

雨が降ったら寒い、日が差したら熱い、雨でも湿気を含んで蒸して暑い、その都度着物が違ってくる

寒い雨の日は大島紬や結城などの紬の単衣がいい、日差しの強い日はもう絽がちょうどいい、麻も出番。湿気を含んでいる日は麻などの植物繊維か紗の着物

チャ子ちゃん先生は木綿にはあまり手を通さない、薩摩絣は素晴らしい木綿、40年前はよく着ていた、柔らかくなって作務衣に仕立てた非常に着心地がいい、それを見た小柄な男性が欲しがったので差し上げた。藍染で柄が麻の葉だったので、麻の研究をしていたその方には絶対に手に入れたかったものだろう

その薩摩がすりのおかげで腸内酵素を作る微生物を送ってくれる、食べすぎたり、疲れたりするとそれを飲んでいる。着物のおかげでありがたや、まさに物々交換。こういう物々交換の時代がすぐそこまで来ているようだが、実施までには時間がかかりそう。

 

下着はどうか

単衣になったとたん絽の長襦袢その他の下着も絽か紗にしている。紐類も麻に変えている。帯枕はへちまを麻布で包む。下着を盛夏にして着物だけをその日の気温や湿度の合わせてチョイス

 

そのうち町中が冷房過多になってくると、単衣の着物に薄いショールんも必要になってくる、そうすると単衣の着物は5月から盛夏も含め11月初旬まで着るので半年も単衣の着物にお世話になることになる。今までの「季節に合わせた着物」の折り合いは大きく変わってくる

たまに着物を着る方はそういう気候状況の知識もないと楽しく着られない

夏結城とか夏大島,明石、夏白鷹、夏塩沢、小千谷、絹縮、絹芭蕉などが大活躍する時代に入ったかも

生地では紗、絽をはじめ楊柳とか麻、芭蕉布などの植物繊維、絹紅梅、絽縮緬などがもてはやされそう

日本っていろんな生地を作ってきたけど、化学繊維に押されどんどん味のある生地が姿を消している。着物を着る人が少ないので仕方がない傾向なのだろう

 

いろんな体験から絹は絹でも白生地の時ウオッシャブル加工したり、黄変加工したものは、染まりにくいのはもちろん、肌の敏感な方はこれでもかぶれる。ベジタブルの人は麻に行くのもわかる気がする。絹といってもいろんな加工していればそれだけでもうほんとうの絹ではないのだから

 

日本はいま、国が亡びるかどうかの瀬戸際にいる

衣食住の根本が問われている、わが先人たちの残した日本の宝である文化を地球のためにも繋いでいきたいと切に思う

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着物が繋ぐもの 340

2020年06月15日 09時54分01秒 | 日記

梅雨の時期の着物はかなり頭を使う

雨が降ったら寒い、日が差したら熱い、雨でも湿気を含んで蒸して暑い、その都度着物が違ってくる

寒い雨の日は大島紬や結城などの紬の単衣がいい、日差しの強い日はもう絽がちょうどいい、麻も出番。湿気を含んでいる日は麻などの植物繊維か紗の着物

チャ子ちゃん先生は木綿にはあまり手を通さない、薩摩絣は素晴らしい木綿、40年前はよく着ていた、柔らかくなって作務衣に仕立てた非常に着心地がいい、それを見た小柄な男性が欲しがったので差し上げた。藍染で柄が麻の葉だったので、麻の研究をしていたその方には絶対に手に入れたかったものだろう

その薩摩がすりのおかげで腸内酵素を作る微生物を送ってくれる、食べすぎたり、疲れたりするとそれを飲んでいる。着物のおかげでありがたや、まさに物々交換。こういう物々交換の時代がすぐそこまで来ているようだが、実施までには時間がかかりそう。

 

下着はどうか

単衣になったとたん絽の長襦袢その他の下着も絽か紗にしている。紐類も麻に変えている。帯枕はへちまを麻布で包む。下着を盛夏にして着物だけをその日の気温や湿度の合わせてチョイス

 

そのうち町中が冷房過多になってくると、単衣の着物に薄いショールんも必要になってくる、そうすると単衣の着物は5月から盛夏も含め11月初旬まで着るので半年も単衣の着物にお世話になることになる。今までの「季節に合わせた着物」の折り合いは大きく変わってくる

たまに着物を着る方はそういう気候状況の知識もないと楽しく着られない

夏結城とか夏大島,明石、夏白鷹、夏塩沢、小千谷、絹縮、絹芭蕉などが大活躍する時代に入ったかも

生地では紗、絽をはじめ楊柳とか麻、芭蕉布などの植物繊維、絹紅梅、絽縮緬などがもてはやされそう

日本っていろんな生地を作ってきたけど、化学繊維に押されどんどん味のある生地が姿を消している。着物を着る人が少ないので仕方がない傾向なのだろう

 

いろんな体験から絹は絹でも白生地の時ウオッシャブル加工したり、黄変加工したものは、染まりにくいのはもちろん、肌の敏感な方はこれでもかぶれる。ベジタブルの人は麻に行くのもわかる気がする。絹といってもいろんな加工していればそれだけでもうほんとうの絹ではないのだから

 

日本はいま、国が亡びるかどうかの瀬戸際にいる

衣食住の根本が問われている、わが先人たちの残した日本の宝である文化を地球のためにも繋いでいきたいと切に思う

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着物が繋ぐもの 339

2020年06月13日 12時31分06秒 | 日記

梅雨入り

梅雨の時期の雨ゴート結構むつかしい

20度くらいの時30度そして湿気が多い、土砂降りの雨

それによって微妙にコートが違ってくる

 

いま紗のコート、芭蕉布、大島紬と3枚のコートを使い分けている

履き物も雨下駄、雨草履、雨カバー

雨草履は高級品は重くてつらい、一番いいのは住職たちが履いている雨草履だ

安価で軽く優れもの、しかしすぐ踵がへるでもそんなに履くチャンスがなければ数十年は持つ

 

この草履の出会ったのは京都でのおおきな法事の場、その日は大雨だった

参列者とは別の履き物棚に「坊さん用雨草履」が並べられていた

そこは好奇心丸出しのチャ子ちゃん先生すぐそばに行って点検!「いいな」うんと一人にこっとする

終わってから挨拶もそこそこ尼様を捕まえて

「お履きになっていらっしゃる雨草履を売っている場所を教えていただけないでしょうか?」

「へーご一緒しまひょ」

「えっそんなーー」

遠慮はいらない自分の寺の近くだからとご一緒させていただいた

 

仏具屋さんというのはふらりとは入りにくいが尼様と一緒なので堂々と入れる

「一種類しかおへん」

男女兼用、しかも大きさは3種類だいたいSサイズが尼さん用、選ぶ余地もなくSサイズを3足ゲット、その合計でも普通の雨草履の金額に届かない。いい買い物!

 

またある時神官の雨用の下駄を見た、そっと足を突っ込んでみたがこれは歩くのに訓練がいりそうでやめた

 

大体一年で擦り切れるので在庫を持っていないと不便、しかしここの所仏具屋に行けていないので雨下駄で我慢している

 

何もかも寿命というのは一度に来るもののようで大島の雨ゴートもついにお役目ご苦労様、もう直しが出来ないまでに着込んだこちらは40年だお疲れ様

つい最近裾から糸が垂れているのはわかっていたのだが雨だから見る人もいないだろうと着て歩いていたら、地下道で3人連れのおばさまに呼び止められ

「裾から糸が垂れていますよ切りましょう」

とはさみでチョキチョキ

「ありがとうございます」

とお礼を述べながらもいい加減な性格をちょっと反省

裾が全部切れているのは私が一番よくわかっている、まよくここまで着続けたものだと繰り回しのできる方に送ったら、東袋でも作りましょうか?それはいい雨の日に重宝

 

大島紬の泥染は自然の防水加工ができているのでありがたい

芭蕉布は涼しくていい

紗のコートはおしゃれな感じ

 

雨の日も楽しい着物姿でいたい

 

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ゲイの友達

2020年06月12日 10時34分01秒 | 日記

珍しく「げい」の友人から呼び出しがきた

ちょっと心が折れていたので気持ち良く会うことにする

彼と話をしていると本音のぶっつかり合いで気分が晴れる

男でもなく女でもない、しかし自分の性が正常ではない(今まではそういう社会だった)ので客観的にまた俯瞰して社会を見いているから、話の中に新鮮な驚きがあって楽しい、しかも絶対説教をたれない

「ねええ私ブランドだわよ私が歩くとみんな一斉に見るもの」

「ばかねえ比佐子ちゃんがマスクしてないから怖がられてんのよ、おめでたいんだからあー」

「そっか」

「きゃははは」

 

彼は若い時可愛かったらしく、性格もいいので多くの紳士にもてはやされ車や家なども与えられていたらしい、人からお金やモノをもらうのは「対価」として当たり前という感覚(こういう感覚が独特、いや当たり前か)

彼が経営していたバーに行くと名のある紳士たちが来ていた、その男たちの一人一人を満足させる話術にほれぼれして時々店に足を運んだ

「比佐子ちゃんは華があるから来てもいい、その代わり女友達は連れてこないでね」

「なぜ?」

「気色悪いもん」

徹底している、のちに自分のお金で小さな店を持った時は

「女も大歓迎」

「ちゃっかりしてるわ」

「経営はそういうものなの!」

 

一番気を付けていたことは「トイレ」もうピカピカ、トイレに入った瞬間その清潔さにうっとりする

「鏡ほしい」

「ばかね、飲んだくれた顔を見てなにが嬉しいの、しかも自分の顔を見て家を思い出されちゃあ商売あがったり、だから女はダメ」

「女の代表にしないでよ」

「うん」くすくす笑う

 

一時は九州の大富豪の「愛人」になっていて、ソルボンヌ大学まで出してもらった

王侯貴族のような家に住み下僕を使い青春を謳歌したらしい。文章もうまく大手出版社から3冊の本を出し、一時は大手週刊誌に連載も持っていた

 

そして今は

小さなアパートに住み、点字や手話の勉強して仕事をしてる(ボランテイアが大嫌い、対価は当たり前)さらに老人や身障者の日常を助けるパートナーの資格も取り、それの仕事もしている

「えらいねえ」

「勝手気ままに過ごしていろんな人を傷つけ両親の恩に報いず、人のお金を湯水のように使い大変申し訳なかったという気持ちで日々過ごしているのよ」と手を合わせる

「-----」

「お金があっても病気勝ち、お金があっても孤独、お金があっても希望がないそんな人多いのよ、そういう方の話し相手になってあげているのも罪滅ぼしね」

「あなたの経験がお人の役に立ち、お金になるのよねよかったわね、トレンドよ」

「でもあれだけ多くの人と交わったけど比佐子ちゃんとだけだなお話ししたいと思う人」

「私も何かの罪滅ぼしをしてるのかなあーー」

「あははは」

今は小さいことに感動できる自分が愛しい。細かいことに優しくなれることがうれしい。昔からそういう感性を持っている比佐子ちゃんをもっとも美しいと思っていたーーーと

ひやっ!

 

チャ子ちゃん先生も捨てたもんではないなあ

 

 

 

 

 

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ばい菌

2020年06月11日 12時00分00秒 | 日記

友と新宿のデパートの入り口で夕刻待ち合わせた

早めに行ったがマスクをしていないので入場禁止

そこへ友がやってきた

当然のごとくマスク無し

 

二人は別のデパートに上がる

エレヴェーターに乗り込もうとした若いカップルがマスクをしていない二人を見て回れ右(ばい菌か?)

こちらのデパートは緩くマスク無しでも平気

散々おしゃべりをしてエレベーターに乗ったら周りの人が二人を見てよけた(ばい菌だ)

 

わざと頑固にマスクをしないのではない

チャ子ちゃん先生はマスクを販売しているのにつけると呼吸困難になる(腹から呼吸をしているので苦しくなる)

友人は確固とした理由のもとにマスクはしない(指示されれば素直にする)

 

折から

WHOの発表でマスクもワクチンも意味をなさない旨の発表がなされた(詳しくはSNSでどうぞ)

それにしても空気がきれい

大きく胸張ってその美しい空気を体中に回せていることに感謝、マスクの皆様のおかげ

抜けるような澄んだ青空もマスクのおかげ

 

怖がらせる人の話は地球の波動も下がる

地球とともに仲良く生きていきたいな

 

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恋の季節

2020年06月10日 09時50分38秒 | 日記

アドベンチャーワールドではパンダの恋の季節が始まったらしい

良浜(メス)が物思いにふけっている姿が可愛い、時折声を出して恋人を呼んでいるらしい

夫の永明もしなしなして子供みたい、かなりいい年なんだよね

昔読んだパンダの生態では一年に一回の恋心、しかもお相手が気に入らないと絶対交わらないという潔さ

野生でいるときはその清さのため新しい命の誕生がおぼつかなくなり、パンダという動物は絶滅の危機を迎えた

 

中国では野生のパンダを保護し繁殖に力をそそぎ、いまは人工飼育に力を注ぎ、野生化のお手伝いをしてまた野生に戻すという作業しているようだ

 

チャ子ちゃん先生大嘗祭の本を執筆中、日本書紀の中に唐の女帝則天武皇后がつがいの二頭の熊と毛皮20枚を日本に寄贈したという文章があったが、この熊はパンダでしょうねえなんて思ってしまった

 

というのはパンダの化石が北京で見つかったときそれは300万年前の物だったという。古い動物なんだパンダは。パンダは猫科だから仕草がかわいい。しかもその化石から見ると今のパンダとほとんど姿はかっわっていないらしい。

北京からベトナムの南の方までがパンダの里、どうして中国にいるのかはいまだに解明不能

 

日本には1927年(昭和47年)カンカンとランランが上野動物園に初お目見え

職権利用で開演前にゆっくり堪能、本当にかわいいと思った

ぬいぐるみも買いあさって出張にもぬいぐるみ持参、そのたびに子供たちにふるまって人気獲得

 

最近はリーリーとシンシンが来たばかりのころ見に行ったが二匹ともお尻ばかりを見せつけられて、それでもかわいいなんて思ってしまった

 

最近は動画のフアン

バレエのレッスンに行っていたころシャンシャンの可愛い動画を本屋で放映していてその動画に見入ってついにレッスンが終わってしまいほぞをかんだことが在る

それにしてもパンダのお母さんは子育て上手、100グラムの赤ちゃんが千倍近くの動物になるなんて、蚕は1万倍だけど、動物の世界はすごいよ

 

誠心誠意子供を見続けている姿は崇高、すっかり信頼しきって愛をたっぷり感じている子パンダは本当に幸せそう

 

 

上野のお二人には恋の季節はまだやってこない模様

 

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着物が繋ぐもの 338

2020年06月09日 12時06分05秒 | 日記

「着物解体新書」(仮題)のイラストが昨日届いた

本来ならこの6月が出版予定だった

しかし自粛のおかげでゆっくり原稿を書けたし練り直しもできた、更にもっと「今」必要なことも見えた

「もう時代は電子図書で

 3すよ」

「文字なんて読む人もういませんよ」

「わからないことはすぐ検索できるし、わざわざ本を買うかしら?」

いろんなご意見があった

 

今度の本を出版する会社は春陽堂書店といって明治時代から存在する老舗。日本の文化を見つめてきた出版社だ

文豪の本や日本画家などの画集、日本人の美意識と感性を表現し伝えて来た出版社

「着物の着付けの本はどこでも出版するでしょうが、うちは実用書は苦手です」

と担当の編集者はおっしゃった

「だからこそ着物を解体するのに意義がありますね」

 

この方はチャ子ちゃん先生が三五館から出版した「着物という農業」を読んでくださって、一緒に本づくりをしたいと思ったそうだ

「着物を通して見えてくる日本の文化、歴史、経済、政治の在り方、心の持ちよう、食の在り方、体づくり、私はそういいうことに興味をもって着物を着続け、着物の現場に立ち続けてきたので、着物の一つひとつを社会的に解剖していきたいといつも思っているんですよ」

と申し上げ今回の本づくりとなった。

 

着物は日本の国そのもので、着物を解体していくと日本がはっきりと見えてくる

「着物は民族衣装です」違う。それに収まらない

「着物はフアッション」違う全然!時代を表していることではフアッションかもしれないが、もっと深い

「着物は着るもの」まあね、そこから解説始めると夜を徹するのでやめておこう

 

校正しながら読み返してみて、改めて着物のすごさを認識する

 

着物の奥深さは私たち先人の残した宝

そう考えたときやはり、紙媒体でしっかりと残して目で読み心で考え肚に落としてほしい材料だと思った

この本が目に触れるチャンスは少ないかもしれない

しかし読んだ人の丹田に落ち着いた時、その人の日本に対する考え方が定まっていくだろう

そういいう人が一人でも生まれればわが先人たちの想いは残る

チャ子ちゃん先生はそれの橋渡しをしているだけ

 

ワクワクしながら次の本づくりを考えている。キリがないのよね

 

 

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