チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

萎えている

2023年08月14日 07時26分36秒 | 日記

自分自身のずさんさに萎えている

萎えた根をどのようにして復活させるか

深い反省と誠意を持った対処しかない

そしてその萎えた事実を今後の自分自身の生きる道にプラスする強さを持つことが必要

 

平成15年もとことん打ちのめされたことがある

その時はひたすら耐えてしゃがんでいた

戦いたい心をひたすら沈めて黙して語らず

その時も自分が持っている毒素がきれいに流されたのを感じた

転換は「傘寿コンサート」

まるっきり素人の声楽それに挑戦してみた、そしていろんなものがそこで晴れていった

 

今度はどうだ

完全に自分自身のずさんな取材と文章表現

これから生きる上にも致命的ではないかと思われる

チャ子ちゃん先生の本城を壊すようなものだから

致命的でないようにするために深い反省と誠意が必要であり

そこからまた大きなものを学んでいく姿勢で吸収することだ

 

萎えている自分を自己否定しないことだと言い聞かせている

萎えている自分を人格否定しないことだと思っている

自分から出た原因であっても

原因を作ったのが自分自身であっても自己否定をしては自分に対して済まない

いまは至らない自分を指摘してくれた人にひたすら感謝しかない

 

その方も自分自身の誠を守ることに懸命

ご自分の姿勢にウソ偽りのないことを願っている

だから誤解を受けそうな表現には心痛めるのだ

それは未来につなぐ仕事をしていらっしゃるからこそだ

それをしっかり私に主張する勇気にただただ尊敬と感謝の思いしかない

清らかで丁寧に生きている人がいること

これは日本人としての誇りでもある

 

誰かがチャ子ちゃん先生に注意をしたかった言の葉を

教えていただいた

まだまだ学ぶことの多い日々

ひとは体験しながら学んでいくのだとつくづく思う

「あたりまえのことバカになってちゃんとやる」ーーーね

 

 

 

 

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神の言葉

2023年08月10日 10時26分21秒 | 日記

「我」の強いチャ子ちゃん先生は、その我を押し通して失敗し、自分自身に困難を呼び込む

ほとんどの不幸の原因は自分から発したものだと思っている。にもかかわらず「我」がなかなか消えない

何かが起きるときは必ず原因が自分にある

「あの時そうしておけば」

「あの時素直になっていれば」

「あの時きちんと向き合っていれば」

原因が自分にあるものだから、つい自分を責める

長く生きていろんな体験をしていると、自分を責めるのは一番簡単な解決法のように思うが、実はその解決方法が違っているので、また同じような失敗をしでかす。その時もまた、「私のこういうところが悪いのよね」と自分を責める。そうするとさらなる大きな失敗が来る

 

こういう経験は多くの方がしていること

最初の神の言葉を無視したことが原因だと気づくと

どうして無視したのか、無視した自分を見つけていくと「なあんだ」つまりは変なこだわりや、傲慢さに気が付く

「そうか近頃傲慢になっていたのだな」

という原因に気が付くと、嘘のように逆にいい結果が見えてくる。更に素敵な未来を髪は見せてくれる

 

その時

「私たちは神によって生かされているのだなあ」と「謙虚になっていく」

しかし行動を起こさないと、こういう蜜の味は味わえない

 

昨日面白いことがあった

ここのところ動きすぎているので土の氣がほしいと、外出からの帰り、公園に入り足袋を脱いでアーシングしていた、とポツンと雨、あら大変と足裏の土を払ってそのまま草履をはき小走りに部屋に戻るとすぐ、ピンポーン、書留だ。その時外を見ると雨はやみ空が青い

これを受け取るためにぱらりと雨を降らしてくれたのかと感謝

 

直感で教えて呉れることもある。しかし「我」の強い私にはこういう見える形のお知らせの方がありがたい

それすら無視する「我」の強さがあるのだから、チャ子ちゃん先生についている神様は大変だ

 

穏やかな人には穏やかな神様がいつもご一緒、そうなるといいのだけどね

 

 

 

 

 

 

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夏は酷暑 秋は短い

2023年08月09日 10時16分49秒 | 日記

昔と現在と暑さの質が違う

子供のころも暑かった。しかしそれは自然の暑さだった。だから夜風の涼しさが抜群に気持ちが良かった

多くの人が狭いながらも庭のある家にすみ、打ち水をして灼熱の土を冷やし、井戸水で冷やしたスイカを食べ、家族で花火を楽しみ、雨戸をしっかり占めて休む

冷房のない家の中は夜風が入ってきていてひんやりとしている

大麻で出来た蚊帳の中に、麻の布団にくるまって休む。暑くて寝苦しいと思ったことはない

しかし昼の太陽は容赦なく照り付ける、子供たちは12時から3時までは外に出してはもらえない、タオルケットをおなかにかけてお昼寝、その間たらいに水を張って太陽の熱をふんだんに取り入れ、水を温かくして昼寝から目覚めたら行水、朝顔の棚が日影を作っていたし目隠しでもあった

昼の暑さはそのころも今も変わらない

しかし暑さの質が違う、コンクリートの照り返し、クーラーの熱風、密閉された家、暑いわけだね

 

この暑さの原因を気候のせいだけにするのではなく、なぜ暑いかの根本を知ることが誰にでも必要だと思う

気候変動と騒ぐ人たちの口車に乗ると、そのあとに隠されている政治的悪の方がもっと怖い

人は宇宙循環の中の生きものの一つ、自然を尊ぶ日本人の暮らしこそが、その循環に組み込まれている尊い暮らし

人工的に気候も左右する科学が発達しているらしいが(台風進路を自由自在に操るこのができる機械なるものを先日みた)それは宇宙循環に組み込まれていることではないので、いづれ消えていく運命だと信じている

 

自然の営みの中で人は生かされていることを思いだしたとき、いかがわしい病も消えていくと信じている

 

先日海外旅行にも唐草の大風呂敷に何もかも包んで動くという妙齢ナ夫人に出会った、しかも着物を着て日本髪を結っている

「ロックがない」と荷物の検査で言われても「これがロック」と結び目を見せる、大切なものは帯の中や胸元に入れているので「歩く金庫」

そして背中に背負ってニューヨークなどの大都市を歩くのだそうだ。無理をしているのではなく、それが彼女にとって一番楽で自然

神様はいろんな姿をチャ子ちゃん先生に見せてくれる

きょうは「チャコちゅうぶ」20時から

 

 

 

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原子爆弾投下の日

2023年08月06日 07時20分56秒 | 日記

「広島に恐ろしい大きな爆弾が落とされて多くの人が亡くなり、広島市が全滅したらしい」

「これで戦争も終わりだ」

大人たちがひそひそと話しているのを聞いたのは、疎開先の久住高原でのこと

その前の7月初め大分市に住む我が家の玄関先に爆弾が落とされ、家が吹っ飛んだ

住む場所がなく親戚の柿山の山小屋で家族六人と暮らしていたが、7月のある夜大分市に焼夷弾が落とされ、町が全滅する火の手を家族全員が棒立ちになって、山から見下ろした。空が茜色に染まり金色の火花が時折上がり、変に美しいと思っていた

その日から敵機は農地の多い田舎にもやってくるようになり、先ずは女子供はもっと山奥に疎開ということになった

14歳の兄と父は男手として市内に残った

 

家族がバラバラになった緊張感の中「広島に怖い爆弾が落ちた」というニュースが口込みで伝えられたのだ

その時ラジオは何も言わなかったのだろうか、不確かな情報で明日は我が身かという恐怖感に包まれていて、子供たちはぴっやりと親にくっついて離れない。子供同士で戦争など忘れたように遊んでいたが、誰も遊ばない。今度は「長崎」に同じ爆弾が落とされたという

敵は海から上陸して来るといううわさで、みんな山の方に疎開をしているわけだが、そういう辺鄙なところでも情報は早い

山に逃げていても、上から怖い爆弾を落とされるのであればもうどこにいても同じだ、家族一緒にいたほうがいい。という人もいて、だんだん自分たちの家に帰っていく。家のない私たちは父と兄を待つしかない

 

そうして帰ってきた父の情報によると、もう日本は戦争に負けて降参するだろう、それもここ一週間ぐらいの間だ

敵が上陸してきて女子供に危害を与えるといううわさもあるので、もうしばらくここで暮らした方がいい。という結論

私はずーーと病床にいたので大人たちの会話は直接聞いてはいないが、姉たちがかいつまんで解説してくれていた

 

最近の情報では空からの爆弾ではなく、地上での爆発で「生体実験」であったという人もいる

戦争の犠牲者はいつも一般の人、いまだに原爆の病で苦しむ方もいらっしゃる、こういうむごいことが、もう地球上で行われることのないように祈りたい

 

 

 

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きものは涼しいと感じる

2023年08月05日 08時00分48秒 | 日記

酷暑という毎日

しかしきものは本当に涼しい

強い太陽光線から全身を守ってくれている絹

絹の紫外線カットは半端ではない

 

ビルや電車に乗ると冷房が強く、これもまた全身を冷気から守ってくれる

歩くと八つの空気孔から風が吹き抜ける

足袋で足の冷えを守り、帯が内臓をお温めている

 

この恩恵をいただくのは昔からの自然の着付けでないと無理

胸当ては汗腺を止め、顔に汗を出さない

湯文字は骨盤を安定させ軽やかな歩みをさせてくれる

 

高温多湿の日本には昔から存在する絹と麻がやはり一番

残りの夏

きものは涼しいを実感して頂くために

盆休みの三連休「着物夏期講座」を開きます

 

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行動の時

2023年08月04日 10時12分50秒 | 日記

昨夜六本木にある「文喫」という書店に行ってきた

友人鈴木準さんの新刊トークショウに参加

この書店は2000円を払うと一日立ち読みができ、パソコンを持ち込んで仕事もできる、更に飲み物も自由に注文できる

本を購入すればその入場金から引いてくれるらしい。ここのところ詳しく聞くのを忘れた

このトークショーの仕掛人は元東映の宣伝部長福永邦昭さん

トークショーン広さは椅子席30人、そこで店長アパソコンを駆使して生配信もしている

 

いま全国でまだ二件しかないという新しい書店の試みだ

紙媒体が隅に追いやられる時代に、こうやって著者にに希望を与えてくれる書店の姿勢に感動する

著者がどんな思いでこの本を書いたのか

その人となりものぞけて興味がわく

今は電子図書が盛んで紙媒体の本はなかなか売れずに苦戦しているが

日本人の読書好きの遺伝子は、こういうところで根を張っていくのかもしれない

書店の営業が終わっての時間帯でゆっくりと著者の思いも聞くことができた

 

これからの時代は、古いものを新しい感覚でいい形で残していくことも必要だと思った

 

ちゃこちゃんせんせいの「続・きものという農業」近いうちにいたしますゆえ、いらしてくださいな

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続・きものという農業

2023年08月02日 11時19分29秒 | 日記

現場のモノづくりに従事している人々は美しい、そして清らか

今回も現場に足を運びいろんなお話を聞き、感じたことを書いた

チャ子ちゃん先生は長い取材生活でメモを取らない、更には録音もしない

数字とか人の名前はメモをするが、メモすると相手から目をそらすことになり、その人が本当に言いたいことを聞き出せなくなる

話したくないこと、聞いてほしいことを見極めるには相手の目を見ることが必須。と思っている

また

相手の目や体の動きを見ていると、次に質問をする内容も自然に見えてくる

質問は集中して行う

そしてそのあとは世間話、この時にさらに深いことが聞ける

 

今回も長いお付き合いの方々がいる。大体のことは知っているだろうと思うけどそれは違う

モノ作りから智慧がわきいでてまた過去を修正しながらモノを生み出す、そういう作業をしているから長い年月を一つのことに打ち込めるのだ

その間結婚をして子供を持ち家族を養うという重責も負う

今の世の中は「金」がまだモノを言う、「金」のために自分の思いを曲げてしまう人も多い

しかしそういう人の方が世間でもてはやされる。なぜなら「機を見るに敏」だから波に乗るのがうまい

 

「自分が何をしたいか」をきちんと知っている人は、波の下の海底で自分の道をコツコツと歩んでいる。だから右往左往はしないし出来ない

これは魂の場所と同じだなあと思う

魂は己の居場所がきちんとわかっているので、いつもそこの場所にいて自らを輝かせている

その輝きに気づいて集まる人は同じ美しい魂を持った人たちだ

 

モノづくりの人たちもそう

自分で工夫をした技を全公開する、それは次にまた新しい技が自然にわいてくることを知っているからだ

その方たちの存在其のものが日本の宝

 

続・きものという農業を出版できてチャ子ちゃん先生は幸せ、そしておかげで魂も磨くことができた

しかしながらメモを取らないので、時々表現に至らなさがある。それも指摘されても「ごめんね」とやり過ごす不敵な性格もチャ子ちゃん先生にはあるので、魂の美しい方々はそれをゆるしてくれる

いくつになっても甘ちゃんだ

 

今日は「チャコちゅうぶ」20時から

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八朔

2023年08月01日 08時47分35秒 | 日記

八朔というと「みかん」と思う人が多いけど、暦の上の八朔は五穀豊穣を祝う日

もちろんこの日は旧暦の八月一日、今年だったら九月十五日になるけど、稲刈りが始まり、初穂を神棚に収めて「田の実り」に感謝。だから「頼み正月ともいわれていて、白紋付を着て「おたの申します」とお世話になった師匠のところにご挨拶、という習慣もある

 

もともとは家康が江戸城に初めて入城した日として、各藩の大名が八朔の日白裃を着てあいさつに登城する習わしが、下々にもいきわたったといわれている

今はどうか知らないが、昭和40年代だったと思う、京都の祇園で取材したとき、舞妓さんたちが白紋付を着て「おたのもうします」とお茶屋やけいこごとのお師匠さんのところにご挨拶していたけど、そしてお師匠さんたちは「おきばりやっしゃ」と言って扇を渡していた。末広がりに成長しなさいという意味があるのだと教えてくれた。

昭和50年の終わりに行ったときは絽の黒紋付になっていた、今はどうなんだろう、この日に行かなければ見られない

 

こういう習慣も「意味ない」と言ってどんどん消えていくのが昨今の風潮

これはもともとの意味が薄れていくので「意味ない」ということになっていくのだろう。花柳界というところは風習を重んじる唯一の場所になっていると思う。しかし今では祇園の舞妓も祇園生まれは皆無だし、更には京都生まれもいないという現状、そのうち日本生まれの人も少なくなっていくのだろうかという危惧もある

 

日本はなし崩しに「日本」を失っていっている。外圧もあるが内部崩壊のほうが目に余る

日本を取り戻す早道は先人たちの知恵の結集である、冠婚葬祭喜遊楽だとチャ子ちゃん先生は思う

喜ばせることのうまさ

遊ぶことの美しさ

楽しむことの味わい深さ

冠婚葬祭が儀式ばっているならば、この喜ぶ、喜ばせる。遊ぶ、遊ばせる。楽しむ、楽しませることは、日本人は天才的に上手。この特質を思い起こして日本を楽しい国に作り上げたいものだ

時は先祖を思い敬う盆行事ががある8月、シンレキではあるが今日は八朔、「おたのもうします」

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