昨日は、長崎原爆の日でした。
亡き祖父は被爆者手帳を持っていました。
五島列島に待機中に原爆投下の知らせがあり、翌日8月10日に長崎市内に入り、救護活動に従事したそうです。
祖父は無口で、特に戦争のことは語りたがりませんでした。お墓の中まで持っていく、と言っていたのを何度か聞いたことがあります。
私が高校生の時に強引にお願いして、一度だけ詳しく話をしてくれましたが、
想像できないほどの出来事に、何も言えませんでした。ただ、話の内容と、自分が感じたことを忘れないようにしようと思いました。
祖父の残した日記を、帰省した時に少しずつ読み進めています。存命中には語られなかったことが書かれてあり、何年、何十年経っても、被爆による体調不良が続いていたことを知りました。
戦後70年という文字をあちこちで見かけます。これまでも、平和であることの有り難さや、祖父の体験したことを度々思ってきましたが、今年はいつも以上にその思いが強い気がします。
70年経ったことで、直接体験談を聞ける機会は少なくなっています。
このような惨事が2度と起こらないように、直接体験していない私達は、記憶することと伝えていくことができると思います。
日本だけではなく、世界のどの国においても平和でありますように。
亡き祖父は被爆者手帳を持っていました。
五島列島に待機中に原爆投下の知らせがあり、翌日8月10日に長崎市内に入り、救護活動に従事したそうです。
祖父は無口で、特に戦争のことは語りたがりませんでした。お墓の中まで持っていく、と言っていたのを何度か聞いたことがあります。
私が高校生の時に強引にお願いして、一度だけ詳しく話をしてくれましたが、
想像できないほどの出来事に、何も言えませんでした。ただ、話の内容と、自分が感じたことを忘れないようにしようと思いました。
祖父の残した日記を、帰省した時に少しずつ読み進めています。存命中には語られなかったことが書かれてあり、何年、何十年経っても、被爆による体調不良が続いていたことを知りました。
戦後70年という文字をあちこちで見かけます。これまでも、平和であることの有り難さや、祖父の体験したことを度々思ってきましたが、今年はいつも以上にその思いが強い気がします。
70年経ったことで、直接体験談を聞ける機会は少なくなっています。
このような惨事が2度と起こらないように、直接体験していない私達は、記憶することと伝えていくことができると思います。
日本だけではなく、世界のどの国においても平和でありますように。