市内の三味線職人・大田さん 尾岱沼に通い15年「一瞬にかける」
真冬の蜃気楼とも呼ばれる現象「四角い太陽」を追って、札幌の80歳のアマチュアカメラマンが14年前から毎冬、根室管内別海町尾岱沼に通っている。大田繁さん=南区澄川=。本業は道内では数少ない津軽三味線作りの職人。三味線をカメラに持ち替え、「音も、四角い太陽も、一瞬が勝負」と夜明けの野付湾に立つ。
昨年12月30日午前6時50分、水平線に現れた太陽が1分余りでかまぼこ形から、ひょうたん形え、徐々に姿を変え、そして、四角になった。「出た」-。夢中でシャッタ-を切った。「四角い太陽」とは厳冬期に海水面と上空の大気の温度差が大きくなると、光の屈折により、ごくまれに見られる現象。大田さんは1996年から毎冬、この幻の太陽を狙い、尾岱沼を訪れる。町内に2ヶ月近く滞在し、毎朝カメラを構えるが、幻の太陽はなかなか現れない。初めて写真にできたのは、2007年1月。昨年12月は2度目の成功で、1月30日にも3度目の撮影に成功した。この冬は2月末まて粘る予定だ。大田さんは18歳で建具職人となったが、津軽三味線の魅力にとりつかれ、43歳で「これを作ろう」と転職を決意。「弾けてこそ、いい音が分かる」と演奏家となるべく青森県の家元に弟子入りした。その後、独学で建具の技術を活用した三味線製作法を開発し、札幌で独立。「一瞬の響きで、聴衆を引きつける三味線」を目標に、深い響きをもたらすための、新たな革張りの技法も生み出した。今も現役の職人。顧客には、三味線デュオ「吉田兄弟」ら、第一線の演奏家も名を連ねるが、長男が跡継ぎとなった15年ほど前から冬場は少年時代から趣味だった写真に時間を割けるようになった。四角い太陽を追い続けるのは、「いつ現れるか分からないから、ロマンか゛ある」と感じるからた。撮影は3度かなったが、かねてからの目標だった「ハクチョウと重ねて撮る」ことはまだ達成できていない。「一瞬にかける-という意味では、最初の響きが勝負の三味線と同じ。あきらめません」。カメラを構える目に、職人の意地か゛見えた。