匠の聚は、奈良県吉野郡川上村というところにある。
川上村に入る手前は吉野村で、窪垣内という集落がある。
一枚目、二枚目の写真がそれで、吉野川が大きく凹んでいるところから「窪」の名がついているらしい。
この集落は、大海人皇子と大友皇子が王位継承を巡って争った壬申の乱の舞台ともなったところで、その時のエピソードから「犬を飼うと禍をもたらす」という言い伝えにより1300年にわたり犬が一匹もおらず、神社にも狛犬がいないとのことである。
今も犬がいないのかは定かではない。
窪垣内は「くぼがいと」と読み、窪垣内を見下ろす写真を撮った場所は入野峠で「しおのとうげ」と読む。
吉野川はここから吉野村の中心部を通って和歌山県に抜け、「紀の川」と名前を変える。
単純に読めないことに合わせたかどうかは知らないが、匠の聚の「聚」は「むら」と読む。
こちらは古い地名でもなく、現在の施設の名前であり、「村」では味気ないというのであれば、せめて「邑」程度にしてほしかった。
ワードではすぐに出てこないし、人に話すにも漢字を説明できないではないか。
川上村に入る手前は吉野村で、窪垣内という集落がある。
一枚目、二枚目の写真がそれで、吉野川が大きく凹んでいるところから「窪」の名がついているらしい。
この集落は、大海人皇子と大友皇子が王位継承を巡って争った壬申の乱の舞台ともなったところで、その時のエピソードから「犬を飼うと禍をもたらす」という言い伝えにより1300年にわたり犬が一匹もおらず、神社にも狛犬がいないとのことである。
今も犬がいないのかは定かではない。
窪垣内は「くぼがいと」と読み、窪垣内を見下ろす写真を撮った場所は入野峠で「しおのとうげ」と読む。
吉野川はここから吉野村の中心部を通って和歌山県に抜け、「紀の川」と名前を変える。
単純に読めないことに合わせたかどうかは知らないが、匠の聚の「聚」は「むら」と読む。
こちらは古い地名でもなく、現在の施設の名前であり、「村」では味気ないというのであれば、せめて「邑」程度にしてほしかった。
ワードではすぐに出てこないし、人に話すにも漢字を説明できないではないか。