昭和五十九年三月、道路拡幅のため蓮根池のほとりにある小さな桜並木が伐採されることになり、蕾をいっぱいつけた桜が一本伐られた。
次の日の朝、桜の幹に命乞いの色紙が吊るされていた。
花守り/進藤市長殿
花あわれ せめては あと二旬 ついの開花を ゆるし給え
(二旬=二十日 ついの=終の)
この色紙のことを地元の新聞が取り上げ、「短歌に託した命乞い」の大きな記事となって、花を惜しむ歌や句が、次々に桧原桜に寄せられた。
そのうちの一首が進藤一馬福岡市長の返歌だった。
桜花惜しむ 大和心の
うるわしや とわに匂わん 花の心は
香瑞麻
その後、道路拡幅計画は一部変更され、桧原桜は終の開花を許された。
花吹雪が散って 薫風のころ、桜の枝に
葉桜の そよぐ梢の 風涼し 花守り市長の 情け通じて
このエピソードは知ってはいたが、行きたいと思っても駐車できる場所はないものと思っていた。
ところが、臨時駐車場なるものを発見!
駐車場に車を停めたのが午後5:40頃。
駐車場の閉鎖が午後6:00。
薄暗いなかをばたばたと。