Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

クーパーズタウンの野球殿堂博物館を訪れる~旅行記その2

2008-08-08 | メジャーリーグ
ロチェスターから車で2時間半ぐらい、ファームなどが点在する高原地を走る。「こんなド田舎に世界中から人々が訪れる野球殿堂博物館が存在するのか?!」という大きな疑問が頭をよぎる。ヤンキースとメッツという2大人気のメジャーチームをかかえる大都会、ニューヨークから車で5、6時間もかかるというから、ますます不思議な場所に存在する。


車から見えた表示。海抜1262フィートに位置するとある。

そこそこ感じのいい避暑地風の湖を抜けると、可愛らしい町、野球少年憧れのクーパーズタウンに到着。駐車場は、野球発祥の地とよく言われる(これは、正確には間違い)「ダブルディ・フィールド」(博物館から歩いて数分)にあるが、野球殿堂博物館の目の前の道沿いに駐車できた。

そこかしこに野球がらみのお店が並び、野球が発展してきたアメリカの古きよき時代を感じさせる美しいこじんまりとした町並み。アメリカ人の憧れの野球の聖地として君臨するクーパーズタウン。いったいどこに大きな博物館があるのだろう。

「あった、あった、こんなとこに!」世に知られる野球殿堂博物館は、味わいのあるレンガ作りの大きなお屋敷風。どこに博物館があるのかわからないほどさりげない建物。道路をはさんで、少し進むと、反対側は、美しい湖。高原と湖に囲まれた素晴らしい環境に位置する。


正面玄関の上に「NATIONAL BASEBALL HALL OF FAME AND MUSEUM」と大きく文字がでている


正面玄関の横に、今年殿堂入りしたメンバーの写真の旗がかけられていた。監督やオーナーなど。一番大きく紹介しないといけないピッチャー、グース・ゴサージの写真をだしていないのが、残念!ホワイトソックスやカブスでも活躍した。


胸を躍らせながら、ドアを押すと、泣く子も黙る野球の神様、ベーブ・ルースと1939年から1960年までレッドソックスでプレーした最後の4割打者、テッド・ウイリアムスが目の前に出迎える。人物大の彫刻の人形がバッティングしている。アーモンド・ラモンタンというアーティストが博物館に寄付した作品。主人がチケットを買っている間、息子たちは、早速並んで憧れのルースと写真撮影。



私のお気に入りのテッド・ウイリアムスは、ちょっと似てないなあ。写真では、もっと細いイメージで、ハンサムだぞ!ウイリアムスが、1941年に4割6厘を打って以来、メジャーには4割以上を打った選手はでていない。よくイチローが4割を打てるかが焦点となるが、それほど大変な偉業だということだ。

先月、私がとっていたハーパー・カレッジの「アメリカ野球の歴史」のクラスで、テッド・ウイリアムスが1941年に4割達成したときの映像を見た。ディパルマ教授の話だと、シーズン終了前のダブルヘッダーで、3割9分9厘5毛と4割をきっていたので、回りから休むように勧められたというが、ウイリアムスは果敢に4割に挑戦したという。そして、見事8打数6安打で、4割にのせる。想像を絶するプレッシャーをはねのけて、偉業を達成したウイリアムス。ウイキペディアのテッド・ウイリアムスの項によるとなかなか頑固で、メディアとも折り合いがよくなかったという。しかし、映像のウイリアムスは、誠実で優しそうな雰囲気がただよっていた。気難しいという印象を与えるぐらいでないと打率4割というとてつもないことは、達成できないのかもしれない。



2階の「Cooperstown Room」で、博物館の設立の経緯や当時の試合の模様、使われていた道具などを見る。そして、係の人に促されて、191人収容の小さな映画館の部屋へ入る。



USセルラーフィールドを模したミニチュア版の球場の座席。この写真の部分が、スクリーンになる。天井には、ベーブ・ルースやジャッキー・ロビンソンらの歴代活躍した選手たちの顔写真が映し出される。「The Baseball Experience」というタイトルで13分間という駆け足でアメリカ野球の醍醐味を味わう。ときおり日本のプロ野球も垣間見たりして、(息子が「福本だ!」と叫んでいた。)なかなか面白かった。

~この項続く~また、この投稿にも情報や写真を追加しますので、みてみてください。