Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

クーパーズタウンの野球殿堂博物館を訪れる~人気のベーブ・ルースギャラリー~旅行記その3

2008-08-09 | メジャーリーグ
クーパーズタウンの野球殿堂博物館は、野球殿堂入りした選手たちの偉大なる軌跡をたどりながら、ナショナル・パスタイム(国民的娯楽)と呼ばれ、アメリカの誇る文化としての野球の歴史を学ぶ貴重な場所だ。他の国に比べて、歴史の浅いアメリカという国の人々にとっての心の故郷、歴史とともに歩んできた人々の心の置き所となるのが野球なのだろう。

「野球発祥の地」と言われたダブルディ・フィールドのあるクーパーズタウンに野球殿堂博物館を作ったのは、自然のなりゆきだったろうし、その博物館に敬意を表して、年間約35万人もの人々が世界中から訪れる。「野球の聖地」と呼ばれる意味が分かるような気がする。

1階から3階まで、すべてをまわり切れないほどのおびただしいほどの野球にまつわる展示物。19世紀初頭の選手たちが使っていたグローブは、シンプルで、こげ茶の大きな手袋のようで、なんだかあまりピンとこない。




その時代に活躍した野球史に残るピッチャー、サイ・ヤング、クリスティ・マシューソン、ウオルター・ジョンソンたちが使っていたバットやグローブが、ガラス越しに静かに息づいている。各選手たちの残した記録に精通している人は、じっと真剣に見入って微動だにしない。私もこの夏に「アメリカ野球の歴史」のクラスをとって、ざっと野球史を勉強したすぐ後に来たので、写真をとりながら、「あっ、あのときの選手!」と感嘆の声を思わず上げていた。


近代メジャー史上初の完全試合を達成し、1910年に通算500勝を上げた最強ピッチャー、サイ・ヤングのコーナー

そして、しばらくその場にたたずんでしまったのは、シューレス・ジョー・ジャクソンの展示物。シューレスが着ていた1910年代の古い時代のホワイトソックスのユニフォーム。前の投稿で紹介したブラックソックススキャンダルで、無念にも野球界を永久追放された、私たちの永遠の悲劇のヒーロー、シューレス・ジョー・ジャクソン。


シューレスは、八百長をしようとするチームの他の選手たちの態度ににとまどいながらも、このグローブで、スキャンダルが起こった1919年のレッズとのワールドシリーズで、エラー1つせずにいい守備を見せたのだろう。これらの物をジーンとした気持ちで見ながら、いつの日にか、シューレスがこの野球殿堂に入れることを心から願う。

さて、この博物館におけるハイライトは、やはり、この階にある「ベーブ・ルースギャラリー」だろう。殿堂入りした選手やそうでない偉大な選手たちの各コーナーは、大きくても一角なのだが、ルースだけは、格が違う。1つの部屋になっていて、野球がらみのものだけではなく、プライベートな写真や物まで紹介されている。入り口に掲げてある写真のルースは、金遣いが荒かった時代の毛皮の襟のついたコート姿で写っている。この部屋に入るのに、しばらく待つほどの列。人がひけるのを待って、他を一通り回った後で入らなければならないほど混んでいた。それほどルースは、野球界で一番人気だということだろう。


ルースギャラリーの入り口にて、やっぱり、ルースの前では、敬意を表して、ヤンキースのティーシャツで一緒に写らないと!上の息子が、「クーパーズタウンへの旅では、カブスのティーシャツを持っていくのは言語道断で、ヤンキースでないとダメだ!」と言い張ったが、正解だった。


これが、ルースの重くて長いバット。

ルースの偉業を振り返るビデオまで映し出されていて、アメリカ野球の神様としてみんなから崇拝されるヒーローの素顔が見られる貴重な部屋だ。

~この項続く~

Mary Kay のお試しメイクアップを楽しむ!

2008-08-09 | 美容
今日は英語の家庭教師をしているサラから、シカゴの日本人の間でも少しづつ人気が高まっている化粧品メーカー、「メアリ・ケイ」の「ミラクルセット」という基本的なセットを使って、メイクアップのデモンストレーションをしてもらった。



普段、忙しくて、まったくメークやお肌の手入れなど皆無の日々。日本にいた頃も仕事で人と会うときには、簡単なメークをしていたが、家にあるものを適当に使っていたので、きちんと順序だてて何がお肌に必要かなどを教えてもらうのは、初めて。人にメークをしてもらうのが、こんなに気持ちいいとは知らなかった。うーん、ひとときの至福の時間!よくお店で、セールスの人たちが待ち構えているのを見るが、時間をとられそうで、いつも無視していた。

サラは、若くて有能な英語の講師。お母さんがフィリピン人で、お父さんがアメリカ人。会っていてなんとなくほっとする雰囲気を抱かせるのは、アジアの血が流れているせいなのかもしれない。完璧なESLの教師としての資格をとろうと、オンラインで大学院のクラスをコツコツとっているほどエネルギッシュで魅力的なアメリカ女性。ハーパーカレッジの大学生と同じいまどきの若者の文化を感じさせながらも、しっかりとした自分のキャリア目標を持って、1人1人の生徒たちにせいいっぱいの熱意をもって接しているようだ。若いフレッシュな感覚が1コマの授業に見事に生かされている。よって、生徒たちはみんなサラのクラスが大好きだという。


メアリ・ケイを使ったナチュラルメイクのサラ

さて、5種類のミラクルセットは、とても使い心地がよかった。とくに気に入ったのは、夜の肌のお手入れに使う白とムラサキとピンク色のビタミン成分のつぶつぶが入ったジェル状のもの。見た目がかわいらしい。(写真下、左から2番目)



メアリ・ケイは、1960年代にビジネスにおける女性の地位に疑問を抱き、女性の地位を向上しようと、1963年に自分でこの企業を起こした勇気あるアメリカ人女性だそうだ。写真に写っているケイは、ゴージャスな雰囲気で、低い地位で苦労してきた時を感じさせない。しかし、数々の輝かしい賞を取っているビジネス企業者として成功した女性企業家の先駆者のようだ。

1960年代といえば、ケネディ大統領やマーティン・ルーサーキング牧師などが暗殺され、人種平等への長い道のりをたどり、公民権運動が起こり、社会変革に女性がめざめ、一方、国がベトナム戦争へと突入していき、学生たちの激しい反戦運動も起こった。アメリカ社会にとって一番激動した時代と言われる。「アメリカ野球の歴史」を教えてくれた、ハーパーカレッジの歴史の専門家、ディパルマ教授も、いつも「1960年代のアメリカ史」のクラスをとる学生たちのモティベーションがいたく高く、みんなきちんとテキストを読んでいると言っていた。私もこのクラスをずっと取ってみたかったが、なかなかスケジュールが合わず、いまだにとれていない。アメリカで、この時代をもっと勉強してみたいとつねづね感じる。


メアリ・ケイのウェッブサイトより、創始者ケイ

日本にいる母から、頬紅を頼まれたので、メアリ・ケイのものを買ってみようかな。サラ、今日はお疲れ様!とても居心地のいい時間をありがとう!

サラのメアリ・ケイのウェッブサイト:www.marykay.com/sfsmcguinn
sfsmcguinn@marykay.com