Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

帰国準備をしながら、シカゴでの子育てを振りかえる

2008-08-19 | アメリカ生活雑感
今日はめずらしくうちに小さなお友達がきた。ショウゴ君という9月で2歳になる男の子だ。うちの不要になった山のようなおもちゃや本やビデオをとりにきてくれた。上の息子の代から慣れ親しんだ大量のトミカのミニカーや日本のさまざまな電車の模型であるNゲージとついにおさらばした。以前に、すべてのキャラがそろっていた日本製とアメリカ製のトーマスのおもちゃも大量のプラレールセットなども近所のナカムラさんとニシノさんがすべてもらってくれた。

2人の息子たちは、2歳ぐらいでこれらの電車や車にはまり、下の息子は2歳のとき、2月という寒い時期にこちらに来て、私も動けなかったので、広いうちの中で、これらのおもちゃたちを広げて、1人遊びをずっとしていた。プラレールは、お兄ちゃんが熱心にリビングに大きく組み立て、さまざまなパーツを使って、下の息子は延々と遊んでいた。同じくらいの友達と遊ぶのも大事なのだろうが、こうやって1人遊びをして、想像の世界に浸るのも発達段階では大事な時間だったのではないかと思う。

シカゴに来て、日本人の友達が最初はいないので、お母さんたちはとても苦労するかもしれないが、風の子クラブやその他のサークルで、いつのまにかじょじょに友達はできていく。兄弟がらみの友達も貴重だった。勿論、親しくなったら、私たちはお互い努力して、遠い距離を車を飛ばして、家を行き来して、子供たちが小さな頃は大変だった。今は、下の息子も小学3年生となり、日本人ともアメリカ人とも新しい友達ともすぐに仲良く遊ぶようになり、親も楽になった。

ただ、上の子が小学1年の終わりまで日本で子育てを経験してきた私にとって、ここでの下の子の子育ては、日本語環境と英語環境のバランスをとるのに、結構大変であった。また、様々な苦労を振りかえりながら、このブログにその当時のことも書いていこうと思う。今日、ショウゴ君のお母さんに下の息子のプリスクール時代の苦労を話していたら、昔のことを思い出してしまった。