Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

ロイヤルズ、ヒルマン監督の敬虔なキリスト教伝道師としての姿をシカゴで見る

2008-08-14 | メジャーリーグ
昨日は、朝からデスプレインのルーメニアン・バプティスト教会に息子2人を連れて出かけた。8月旅行から帰ってきて、少しでものんびりと1日を過ごし、休みなので朝がとても弱い私達3人。でも、学校に行くときと同じように子供たちをたたき起こし、行ったことのない知らない場所へ車を走らせた。

2006年、日本で、日本ハムファイターズの監督として、なんと44年ぶりにチームを日本一に導き、2007年もリーグ優勝させた立役者、トレイ・ヒルマン監督が、この教会に講演しにくるというのだ。ヒルマン監督は、今年から自分の国アメリカにもどり、カンザスシティ・ロイヤルズの監督をやっている。日本に来る前は、アメリカのマイナーリーグの監督を11年もやっていたというから、たたき上げで、出世していき、メジャーリーグの監督という輝かしい地位を獲得したといえる。

テキサス出身で、テキサス大学卒業後、メジャー選手になることを夢見ながら、クリーブランド・インディアンズのマイナーで3年間プレーしたが、夢かなわず、インディアンズのプロ野球史上最も若いスカウトマンを2年し、27歳からヤンキースのマイナーリーグの監督になった。持ち前のリーダーシップを発揮して、チームを優勝に導くが、支配者になることに疑問を感じ、「軌道修正をする必要性を強く感じた。」(ヒルマン監督の著書「ターニングポイント トレイ・ヒルマンが強い理由」新生宣教団発行より)「祈りの中で、野心や自己実現の追及より、神様が私の周囲に置いてくださった人たちに、神様が喜んでくださるような態度で接していくことが大事なのかと思い始めたのだ。」と同書の中で語る。



ヒルマン監督の人柄を知らず、チームを優勝させた監督という事実だけだと、なんだか「凄腕の切れ者」というイメージがわく。しかし、ホワイトソックス対ロイヤルズ戦の試合前に大きく映し出されたヒルマン監督は、控えめで、誠実そうな雰囲気がただよっていた。メジャーリーグの監督は1年目で、新人というわけだからか、敬虔なクリスチャンとして自然にそういう態度が備わってしまうものなのか。ウーン、この目で確かめてみたい!その有名人、トレイ・ヒルマン監督の講演が、ここシカゴ郊外の教会であるというのだ。ウイキペディアに書かれているヒルマン監督は、やはり「熱心なクリスチャンで宣教師でもある」とあり、講演の目的は明らかであった。

無宗教の私たちにとって、教会での話を聞くという経験はほとんどない。せいぜい下の息子が小さな頃、教会内のプリスクールで行われた季節ごとのイベントでキリスト教の一端を垣間見るぐらいだ。しかし、私と息子たちは、プロ野球のベテラン監督としてのヒルマン氏の素顔を一目見ようと、信者さんたちに混じってずうずうしく聞きに行った。この講演は、ヒルマン監督の横に日本語の通訳もつき、インターナショナル・VIP・クラブ・シカゴとシカゴ日系人キリスト教会協議会が主催していて、多くのボランティアの方々の努力で行われたという。


ちょっとだけ、ケビン・コスナーを思わせる面差し、声のトーンも喋り方も少し似ているかも、日米の表舞台で活躍し、人並みはずれたリーダーシップを発揮できる独特のオーラがただよう

息子たちは、ロイヤルズのブルーのティーシャツにブルーの帽子をかぶり、にわかロイヤルズファンの目立つ格好。上の息子が小学4年生のとき、リトルリーグのチームはロイヤルズだったので、主人もティーシャツと帽子、私は帽子だけを買い、しっかり2人分のティーシャツと帽子がそろっていた。シカゴアンでロイヤルズグッズを買う人はまずいない。私がその当時ロイヤルズの帽子をかぶって、大学のクラスに行ったら、クリーブランド出身で熱狂的なインディアンズファンで、バリバリのシカゴアンのウイルソン教授が、「(弱い)ロイヤルズの帽子なんかかぶりやがって!」とやたら馬鹿にされた。その当時ロイヤルズが万年最下位で、限りなく弱いチームだと知らなかったのだ。



しかしだなあ、普通、メジャーリーグ関係者の講演だと、その人のチームの帽子やティーシャツを着ていくのが野球ファンの礼儀ってもんだろ。このシカゴの地で、敬愛する日本人メジャーリーガー、井口選手や田口選手の講演に出かけたとき、私達は、そうすることがファンとしてのせめてもの務めだと学び、当然のように昨日も子供たちにその格好にさせたのだが・・・まったく1人として野球の格好をしている人がいなかった!派手な青いユニフォームを着た息子たちはやたら目立ち、かなり、場違いの服装であった。あーあ!ヒルマン監督にどう映ったのだろうか。「ああ、そこにロイヤルズファンがいる!」と少しでも喜んでくれただろうか。普通なら、日本人学校を訪問した井口選手のように、ホワイトソックスのティーシャツを着ている子をさっとチェックするであろう。

しかし、ヒルマン監督は、「まったくそういうことは関係ない」というような雰囲気で、教会に来ている多くの信者さんたちに熱心に語りかけていた。落ち着いて穏やかな雰囲気がただよいながらも、ときどき大きなアクションやユーモアを交えながら話す。



勿論、話は、一貫して、「神様の導きで今の自分がある」ということに終始していた。選手をやめて、スカウトになったときも、日本で監督をやることになったときも、すべて神様のお導きだと言う。「神、キリスト、聖書、愛、信じる」などの言葉を何度も言いながら、修行をしてきた神の子のキリストのような雰囲気だ。何回も日本やアメリカで講演して慣れているのか、言葉が次から次へと溢れるように出てくる。まさに伝道師!うーん、これが、日本でペナント中「しんじられな~い!」を連発していた人なのか?!

講演は、1時間で終わり、ヒルマン監督のサイン入りボールや当日のロイヤルズ対ホワイトソックス戦が行われるUSセルラーフィールドへのチケットが、ラッフルで当たった人に手渡された。せめて、サインボールでも当たらないかなあ!とここで私たちは、ヒルマンさんが言うように神にひたすら祈るが、だめだった。「ヒルマン監督が私たちファンが持ってきたボールにサインぐらいしてくれるだろう」と大きな期待をして、(井口選手や田口選手が丁寧に1人1人してくれたように)息子たちは2個もボールとペンを用意していったが、無駄だった。試合があるということで、あっけにとられている私たちを残して、ヒルマン監督さっさと退場。


律儀にお辞儀をしながら、このイベントに尽力した教会関係者、関口氏から記念品を受け取るヒルマン監督

野球の技術的な質問をしたかった上の息子は、「ヒルマン監督、もう少しメジャーのことや野球の技術的なこと話してくれればなあ・・・」とがっくり!「日本のプロ野球を経験して、本場に帰ってきてとまどいなどないか?」などという野球に関する硬派な質問を真剣に考えてきた私も同感。でも、あのハンサムな笑顔と誠実な人柄にふれられたかたから、良しとしよう。おみやげに、「パワー・フォー・リビング」(ジェイミー・バッキンガム著)を教会関係者からもらい、聖書の内容に詳しくふれる機会をもらった。中に、シカゴキリスト教会協議会教会リストが入っていて、6つの教会と5人の日本人牧師たちの名前が書かれていた。シカゴでも日本人の牧師さんたちがキリスト教の布教に頑張っているんだなと感じる。プロテスタントで大阪で教会に通う義母に、今日のイベントは伝えよう。

おとといの第1戦と同じように、昨日もホワイトソックスがロイヤルズをシャットアウト勝利。ロイヤルズ打てない!試合の途中に映し出されたヒルマン監督は、朝の講演のときと打って変わって、かなり厳しい表情であった。しかし、きっとヒルマン監督は、「これも忍耐、神のお導きだ!」と自分に言い聞かし、再起を誓っているに違いない。ホワイトソックスファンの私だが、ヒルマン監督、ロイヤルズがんばれ!と言いたい。


追伸

ヒルマン監督の本のはじめのカラー写真の中に、幸せそうな家族写真が載っているが、14歳のハンサムな息子さんは、なんとホワイトソックスの帽子をかぶっている。なんだあ、私たちと同じソックスファンじゃん!


シカゴキリスト教会協議会教会リスト

シカゴ・ミッション日本人教会  小針勇吾牧師 847-323-3090

デボン教会            佐藤敬牧師  773-338-5687・
                            381-0074   
                 John Carlini 847-212-5953

グレンビュー福音自由教会    蛭沼寛行牧師 847-729-1185

シカゴ・レークサイド教会    鈴木光夫牧師 847-763-9724
                 Stan Wiedeman牧師


ノースショア・バプテスト教会  Carol McVetty牧師 773-728-4200

ウイネットカ日本人教会      安納義人牧師 847-853-1739






下の息子、シカゴでお習字に真剣に取り組む!

2008-08-13 | 教育一般
今日は、夏休みの自由課題として、下の息子は、お習字に一生懸命取り組んでいた。

息子の学年、小学3年生からお習字の授業が始まった。しかし、息子はちょうど時期が花粉症がひどいときで、もろに反応を起こしてしまい、咳が止まらなくなり、何日間か学校を休んだため、(去年は一年を通して皆勤賞をとったほど丈夫だったのに・・・子供の体はわからないものだ)貴重な第1回目のお習字のクラスをのがしてしまった。

担任の先生のご指導でなんとか追いついたようだが、片付けなどは、自己流で、わかっていない。上の息子が必死でどなりながら教える。上の息子は弟にかなり手厳しく、私よりも確実になんでも教えてくれるので、私にとってなくてはならない最強の第2の親である。1学期の前半に数日間続けて休んでしまい、その影響が結構大きかったので、日本人学校の1日1日の1つのクラスがいかに大事かが身にしみてわかった。

3年生は学校一の大所帯で、男の子の数が多い。元気いっぱいに走り回りそうな子供たちを、一斉にシーンとした集中力を必要とするお習字の世界に引き込ませなければならない担任の先生のご苦労がつくづくわかった。

息子は、3年生の課題である「大」「月」のうち、「月」を選んだ。いったいどうやって教えていけばいいのか?墨の筆へのつけ方や筆のならしから教えた。どのへんで新しく墨を筆につけたらいいか、私も考えながら教える。自分がどうやって習ったのか思い出しながら。お手本も示す。手が覚えているようだ。しかし、止め、はねなどは、教えるのが本当にむつかしいことがわかった。



近所の友達が、書初めの宿題だったか、お習字を何時間もかけて教えたことを前に聞いていた。その子は、泣きながら頑張ってやりとげたという。結果は、素晴らしい生き生きとした字ができていた。群を抜いて、目を見張るような作品だった。親の努力と子供の努力と両方うまく噛み合わないと、いい結果はでないのだろう。私は、お習字にそんなにこだわりはないのだが、素晴らしい字を書くお子さんたちを見ると、とてもうらやましい!小学1、2年生の時に、硬筆を習っていて、テキストに自分の作品が載ったり、担任の先生から字を褒められて、自分に自信ができて、他の教科にもいい影響があったのを覚えている。

しかし、上の息子は、小学1年生の終わりにシカゴに来たので、お習字や硬筆を習う機会がなく、字が・・・正直言って、うまくない!しかし、小学校高学年ぐらいから、先生方の熱心なご指導のおかげで、お習字の字体がそこそこぐらいになってきた。私の記憶では、6年生のとき、かなりの枚数を書いていたように思う。先生が丁寧に1枚1枚コメントをくれていた。そして、去年ぐらいから、くずした字にも挑戦!こちらも担任の先生が熱心に指導してくださったので、日本に帰国しても恥ずかしくないレベルには持ってこれているような。この夏休みは短い時間で、むつかしい字体をさらりと仕上げていた。

さて、下の息子の今日の練習は、休憩をとりながら、こつこつ書いていき、少しづつできるようになっていった。シーンとして、黙々と手を動かす。集中、集中。まだ、もう少し練習したほうがよさそう。半紙もなくなってしまった。かなり長い間やっていたが、息子はいやがらず、またやると言っている。

シカゴにいながら、家の中はまったくの日本の世界だ。昨日は、英語の家庭教師、アイリーンと息子は英語でポケモン談義。またまた、日本とアメリカを行き来している息子。こんな不思議な世界ももうすぐ終了か。しかし、シカゴ日本人学校全日校のおかげで、日本に帰ってからも安心して、すぐに授業に入っていけるだろう。

年内帰国決定!準備に入る

2008-08-13 | アメリカ生活雑感
いよいよ本帰国が決定した!6年半ここシカゴにいて、まだまだあと一年ぐらいいるのだろうかと思い込んでいたら・・・

ブログ書いている暇じゃないよなあ!7月に入り、帰国が濃厚というわけで、山のようなガラクタの荷物を捨てだした。すでに50冊ぐらいの美しい装丁のシリーズものの本、ルパンシリーズ、江戸川乱歩シリーズ、プロジェクトXシリーズ、青い鳥文庫シリーズなど(全部きれいな状態)を思い切って、シカゴ日本人学校へ寄付した。司書の白上先生に恐る恐る申し出たら、「これなら、みんな喜んで読むわー!」ととても喜んでくださった。きれいな装丁の20巻ものはうちのです。皆さんぜひ読んでくださいね。

そして、何十冊という山のような児童書や大人用の本。まだまだ学校へ寄付できそうな気配だ。ラッキーなことに9月にリサイクル市もあるので、たとえ学校の図書館に寄付できなくても、こちらにまわせる。ウルトラマンやレンジャーものの本もきれいな状態である。怪傑ゾロリシリーズもすごい量あり、こちらは学校の図書館で奪い合うほどの人気だそうだ。みんな待っていてください。全部寄付しますので。

そして、おもちゃや日用品は知り合いの人々に見に来てもらって、渡してしまう。みんながよくやるガレージセールは、時間もなく私にとって面倒なので、その時間があれば、アメリカでやっておきたいことを優先することにする。

昨日は、引越し業者の担当者に見積もりに来てもらった。とても丁寧に相談にのってもらい、1部屋1部屋の日本への荷物を念入りに見てもらった。まだまだ、もって行くものと処分するものがはっきりしていないので、それも持っていくものにいれたので、思ったよりも荷物の量が多いことが判明。この担当者の話だと滞在4年以上を過ぎると荷物の量がぐっと増えるという。

ポイントは、うちの日本のマンションにこちらで買った家具が入るかだ。きちんと壁やドアのサイズを測って、マンションに入るか、そして置けるのかを確認してから、持っていけるかどうかを決めなくてはいけない。ウーン、やらなくてはいけないことが山積みだ。

日本からの友達のメールでは、みんなが声をそろえて、「まず、荷物を少なくすること!」が一番だと書かれている。船便を出す前に、一気にガラクタの荷物を整理しなくてはならない。記者という職業柄、本と資料の多い私にとって、気が遠くなる作業だ。8月と9月はまい進します!

日本の学校の方もいろいろと調べだした。こちらについては、また詳しく報告します。今後、帰国準備、帰国後の日本への生活の立ち上げなど、頑張ってリポートしていきますよ。

USセルラーフィールドで、松坂選手、ホワイトソックスの破壊打線を粉砕!クエンティン大人気?!

2008-08-11 | メジャーリーグ
8月9日、注目のホワイトソックス対レッドソックス第2戦にて、USセルラー・フィールドに初めて登板した松坂選手。



過去中4日か5日で、土曜日か日曜日かの登板予想をしていた私たち。シカゴ在住の日本人は、みんなこの週末のレッドソックス戦狙いだろう。2日間チケットを買っていた人もいるかもしれない。この機会をのがしては、シカゴにいた甲斐がないとばかり、前日夜に登板が発表されると同時に、主人は時間をかけてオンラインでチケットをゲット!1塁側の一番最上席しかとれなかったが、(それでも1人40ドル、普通に買えば、10数ドルか?!)シカゴでの滞在が残り少なくなると、何事も根性でやるしかない。

私たちのアメリカ駐在生活で、松坂選手を見るのは2度目。去年のカンザスシティ、カウスマンスタジアムでの貴重なデビュー戦を観に行って以来。上の息子は、日本で2度観ていて、アメリカで青い西武ライオンズの松坂選手のジャージとライオンズの帽子を誇らしげにまとい、アメリカ人の友達に見せびらかすほどの熱狂的な松坂ファン、ライオンズファンだ。

しかし、根はホワイトソックスの息子。でもって、Matsuzakaティーシャツを着ながら、ホワイトソックスの2005年のワールドチャンピオンの記念帽子をかぶるという奇妙な格好。シカゴアンたちには、相手にされないであろう。

そして、下の息子は、家にあるさまざまなホワイトソックスのティーシャツのうちに、やはりIguchiティーシャツを選ぶ。主人いわく、「前いた選手のティーシャツ着てる人いるから。」たしかに、ポドセニックなど、すでにいない選手のティーシャツを着ているファンはいる。そう、それに井口選手は、いまだにシカゴのみんなに人気があるから、堂々と誇らしげに着ていいじゃん。うちは、なんたって、井口選手がトレードされた時に、近所のダウンタウンに勤めるトリヤマさんから、再び真新しいホワイトソックスの井口ティーシャツを2枚ゲットしてもらったほどの大井口ファンなのだ。


右の上の息子はリックをはおっているため、背番号18が見えない

大ファンの私は、今日久し振りにベースボールカードをディックスで買って、なんと念願の井口選手が正面から写っているカードを手に入れた。カードの袋の裏にIguchiという文字がでていたので、思わず「やった、イグチ!!」と大声を上げてしまい、まわりのアメリカ人がぎょっとしていた。これはフィリーズ時代の井口選手だが、かなりカッコよく、大満足です。話が松坂からそれてしまったが・・・

高速の出口でセルラーフィールドに着く前は、いつもよりもかなり渋滞していて、家をかなり前にでたのに、試合開始の直前に着いたので、レッドソックス戦の人気のほどがうかがえた。気がつくと、周りはレッドソックスファンだらけ。目の前にMatsuzakaティーシャツを着ているアメリカ人の男の子発見。思わず握手したくなる瞬間!



それにしても、セルラーがとても広く感じる。このところリグレーに3回続けていっていたので、よけいに奥行きを感じる。試合開始直前、大げさな音楽とともに、名物のスクリーンに次から次へとホワイトソックスの選手たちのクライマックスシーンが映し出される。ああ、あの2005年の興奮を再び!という感じ。こういう派手な演出も2大強ソックス対決に似合っている。



ホワイトソックスは、コントレラスがピッチャー。最近、ぱっとしないコントレラス。息子の話題にものぼらないほど、調子が悪いのか。


席が遠いので、小さくしか写真にとれず、コントレラス対オーティス

なんと2回表で、1塁ベースカバーに入ったときに、足を負傷してしまい、立ち上がれない。エエーッまだ、写真もよくとってないのに・・・降板かよ、つまんねえ!後でわかったことだが、この怪我で、コントレラス今季絶望。ウソみたい。でも、ホワイトソックスにとっては、お荷物がなくなっていいかも・・・

さて、松坂選手は、いつものように美しいフォームで、淡々と投げる。フォアボールをだしながらも、のらりくらりとのりきって、得点を許さない。レッドソックスが、ペドロイヤのタイムリーやオーティスの2塁打で先攻したので、安心してみることにする。

オーティスの大きな2塁打の時は、1塁側はものすごい歓声が上がった。「レッツ・ゴー、レッドソックス!」という掛け声が何回も沸き起こる。この時点で、シカゴにもやはりレッドソックスファンが多いということが正しかったことに気付く。下の息子のチームのメンバーのお父さんが熱狂的なレッドソックスファンで、「フェンウエイのチケットならまかせておけ!」と言って、エージェントを紹介してくれたほど。なんとか、帰国前にボストンに行って、フェンウエイパークに行きたいという上の息子の言い分。私もあのグリーンモンスターを見たい!

さて、松坂選手は、後半素晴らしいピッチングで、ホワイトソックスの強打線、トーミィ、クエンティン、ペルジンスキー(前回松坂打たれている)を押さえて、8回まで、1点止まり。「代わりにしょう兵にやられた。」と息子弁。



今年は、最初から若いレフト、カルロス・クエンティンの活躍が目立っていて、ホームランダービーのトップを行く。私は、カブスのテリオとともに若くてパワーのあるクエンティンに今季は注目していたが、この日はさすがに松坂選手も警戒していたのだろう。さっぱり打てず。クエンティンのホームランは見れなかった。クエンティンの体型を見ると、なんとなく井口選手を思い出す。構えは違うのだけど、クエンティンの振り切った瞬間もなぜか井口選手のふりに似ているような気がする。





さて、9回の裏、点差が開いていたので、お客さんも帰りだした。ピッチャーも松坂選手から交代。クエンティンの後、ホームランバッターで人柄のいいジム・トーミィ。なんとなくホームランを打つような気がしたので、カメラを構えて、シャッターチャンスを狙った。狙いはドンピシャ。見事なホームラン!





しかし、その後打線は続かず、6対2でレッドソックスの勝利。勿論松坂選手勝利投手。これで、防御率も上がるね。



よかった、今日は松坂選手の好投を見れて、トーミィのホームランも見れて。私の大好きなカネルコとクリーディがでていなかったのが、とても残念だったが。クリーディはこのところ調子が悪く、ベンチで、代わりに3塁はユリベのようだ。ユリベは守備も安定しているし、このところバッティングの調子もいいようなので、しかたがないが。やはり、あの豆タンクのようなユリベ(ごめんよ、ユリベ)よりもクリーディの華麗な守備を見たかった。なんだか、試合の説明というよりも、個人的な趣味で終わってしまったセルラーリポートでした。

ところで、試合の後、上の息子は、クエンティンのティーシャツを買おうとしたら、セルラーの売店は閉店。球場外の屋台3店を見たが、アダルトMは売り切れ。今日もディックスでさがしたが、全部売り切れ。しかたがなく、ユースのXLを買った。クエンティン大人気のよう。今日の3戦目は32号のホームランを打っているし。この分では、新人王間違いなし!皆さま、注目!

追伸

セルラーの各ゲートの入り口の壁に、時代ごとに往年ホワイトソックスで活躍した選手たちはチームの大きな写真が時代の変換とともに順を追って張られている。これも楽しめる。1910年代のシューレス・ジョー・ジャクソンが大きく2枚も出ていて、またまた会えてうれしかった。球場に入る前にも大きくでていたし、シューレスは本当にみんなから愛され続けている。



今日は写真が多くて、アップするのに疲れたよ!

















クーパーズタウンの野球殿堂博物館を訪れる~人気のベーブ・ルースギャラリー~旅行記その3

2008-08-09 | メジャーリーグ
クーパーズタウンの野球殿堂博物館は、野球殿堂入りした選手たちの偉大なる軌跡をたどりながら、ナショナル・パスタイム(国民的娯楽)と呼ばれ、アメリカの誇る文化としての野球の歴史を学ぶ貴重な場所だ。他の国に比べて、歴史の浅いアメリカという国の人々にとっての心の故郷、歴史とともに歩んできた人々の心の置き所となるのが野球なのだろう。

「野球発祥の地」と言われたダブルディ・フィールドのあるクーパーズタウンに野球殿堂博物館を作ったのは、自然のなりゆきだったろうし、その博物館に敬意を表して、年間約35万人もの人々が世界中から訪れる。「野球の聖地」と呼ばれる意味が分かるような気がする。

1階から3階まで、すべてをまわり切れないほどのおびただしいほどの野球にまつわる展示物。19世紀初頭の選手たちが使っていたグローブは、シンプルで、こげ茶の大きな手袋のようで、なんだかあまりピンとこない。




その時代に活躍した野球史に残るピッチャー、サイ・ヤング、クリスティ・マシューソン、ウオルター・ジョンソンたちが使っていたバットやグローブが、ガラス越しに静かに息づいている。各選手たちの残した記録に精通している人は、じっと真剣に見入って微動だにしない。私もこの夏に「アメリカ野球の歴史」のクラスをとって、ざっと野球史を勉強したすぐ後に来たので、写真をとりながら、「あっ、あのときの選手!」と感嘆の声を思わず上げていた。


近代メジャー史上初の完全試合を達成し、1910年に通算500勝を上げた最強ピッチャー、サイ・ヤングのコーナー

そして、しばらくその場にたたずんでしまったのは、シューレス・ジョー・ジャクソンの展示物。シューレスが着ていた1910年代の古い時代のホワイトソックスのユニフォーム。前の投稿で紹介したブラックソックススキャンダルで、無念にも野球界を永久追放された、私たちの永遠の悲劇のヒーロー、シューレス・ジョー・ジャクソン。


シューレスは、八百長をしようとするチームの他の選手たちの態度ににとまどいながらも、このグローブで、スキャンダルが起こった1919年のレッズとのワールドシリーズで、エラー1つせずにいい守備を見せたのだろう。これらの物をジーンとした気持ちで見ながら、いつの日にか、シューレスがこの野球殿堂に入れることを心から願う。

さて、この博物館におけるハイライトは、やはり、この階にある「ベーブ・ルースギャラリー」だろう。殿堂入りした選手やそうでない偉大な選手たちの各コーナーは、大きくても一角なのだが、ルースだけは、格が違う。1つの部屋になっていて、野球がらみのものだけではなく、プライベートな写真や物まで紹介されている。入り口に掲げてある写真のルースは、金遣いが荒かった時代の毛皮の襟のついたコート姿で写っている。この部屋に入るのに、しばらく待つほどの列。人がひけるのを待って、他を一通り回った後で入らなければならないほど混んでいた。それほどルースは、野球界で一番人気だということだろう。


ルースギャラリーの入り口にて、やっぱり、ルースの前では、敬意を表して、ヤンキースのティーシャツで一緒に写らないと!上の息子が、「クーパーズタウンへの旅では、カブスのティーシャツを持っていくのは言語道断で、ヤンキースでないとダメだ!」と言い張ったが、正解だった。


これが、ルースの重くて長いバット。

ルースの偉業を振り返るビデオまで映し出されていて、アメリカ野球の神様としてみんなから崇拝されるヒーローの素顔が見られる貴重な部屋だ。

~この項続く~

Mary Kay のお試しメイクアップを楽しむ!

2008-08-09 | 美容
今日は英語の家庭教師をしているサラから、シカゴの日本人の間でも少しづつ人気が高まっている化粧品メーカー、「メアリ・ケイ」の「ミラクルセット」という基本的なセットを使って、メイクアップのデモンストレーションをしてもらった。



普段、忙しくて、まったくメークやお肌の手入れなど皆無の日々。日本にいた頃も仕事で人と会うときには、簡単なメークをしていたが、家にあるものを適当に使っていたので、きちんと順序だてて何がお肌に必要かなどを教えてもらうのは、初めて。人にメークをしてもらうのが、こんなに気持ちいいとは知らなかった。うーん、ひとときの至福の時間!よくお店で、セールスの人たちが待ち構えているのを見るが、時間をとられそうで、いつも無視していた。

サラは、若くて有能な英語の講師。お母さんがフィリピン人で、お父さんがアメリカ人。会っていてなんとなくほっとする雰囲気を抱かせるのは、アジアの血が流れているせいなのかもしれない。完璧なESLの教師としての資格をとろうと、オンラインで大学院のクラスをコツコツとっているほどエネルギッシュで魅力的なアメリカ女性。ハーパーカレッジの大学生と同じいまどきの若者の文化を感じさせながらも、しっかりとした自分のキャリア目標を持って、1人1人の生徒たちにせいいっぱいの熱意をもって接しているようだ。若いフレッシュな感覚が1コマの授業に見事に生かされている。よって、生徒たちはみんなサラのクラスが大好きだという。


メアリ・ケイを使ったナチュラルメイクのサラ

さて、5種類のミラクルセットは、とても使い心地がよかった。とくに気に入ったのは、夜の肌のお手入れに使う白とムラサキとピンク色のビタミン成分のつぶつぶが入ったジェル状のもの。見た目がかわいらしい。(写真下、左から2番目)



メアリ・ケイは、1960年代にビジネスにおける女性の地位に疑問を抱き、女性の地位を向上しようと、1963年に自分でこの企業を起こした勇気あるアメリカ人女性だそうだ。写真に写っているケイは、ゴージャスな雰囲気で、低い地位で苦労してきた時を感じさせない。しかし、数々の輝かしい賞を取っているビジネス企業者として成功した女性企業家の先駆者のようだ。

1960年代といえば、ケネディ大統領やマーティン・ルーサーキング牧師などが暗殺され、人種平等への長い道のりをたどり、公民権運動が起こり、社会変革に女性がめざめ、一方、国がベトナム戦争へと突入していき、学生たちの激しい反戦運動も起こった。アメリカ社会にとって一番激動した時代と言われる。「アメリカ野球の歴史」を教えてくれた、ハーパーカレッジの歴史の専門家、ディパルマ教授も、いつも「1960年代のアメリカ史」のクラスをとる学生たちのモティベーションがいたく高く、みんなきちんとテキストを読んでいると言っていた。私もこのクラスをずっと取ってみたかったが、なかなかスケジュールが合わず、いまだにとれていない。アメリカで、この時代をもっと勉強してみたいとつねづね感じる。


メアリ・ケイのウェッブサイトより、創始者ケイ

日本にいる母から、頬紅を頼まれたので、メアリ・ケイのものを買ってみようかな。サラ、今日はお疲れ様!とても居心地のいい時間をありがとう!

サラのメアリ・ケイのウェッブサイト:www.marykay.com/sfsmcguinn
sfsmcguinn@marykay.com

クーパーズタウンの野球殿堂博物館を訪れる~旅行記その2

2008-08-08 | メジャーリーグ
ロチェスターから車で2時間半ぐらい、ファームなどが点在する高原地を走る。「こんなド田舎に世界中から人々が訪れる野球殿堂博物館が存在するのか?!」という大きな疑問が頭をよぎる。ヤンキースとメッツという2大人気のメジャーチームをかかえる大都会、ニューヨークから車で5、6時間もかかるというから、ますます不思議な場所に存在する。


車から見えた表示。海抜1262フィートに位置するとある。

そこそこ感じのいい避暑地風の湖を抜けると、可愛らしい町、野球少年憧れのクーパーズタウンに到着。駐車場は、野球発祥の地とよく言われる(これは、正確には間違い)「ダブルディ・フィールド」(博物館から歩いて数分)にあるが、野球殿堂博物館の目の前の道沿いに駐車できた。

そこかしこに野球がらみのお店が並び、野球が発展してきたアメリカの古きよき時代を感じさせる美しいこじんまりとした町並み。アメリカ人の憧れの野球の聖地として君臨するクーパーズタウン。いったいどこに大きな博物館があるのだろう。

「あった、あった、こんなとこに!」世に知られる野球殿堂博物館は、味わいのあるレンガ作りの大きなお屋敷風。どこに博物館があるのかわからないほどさりげない建物。道路をはさんで、少し進むと、反対側は、美しい湖。高原と湖に囲まれた素晴らしい環境に位置する。


正面玄関の上に「NATIONAL BASEBALL HALL OF FAME AND MUSEUM」と大きく文字がでている


正面玄関の横に、今年殿堂入りしたメンバーの写真の旗がかけられていた。監督やオーナーなど。一番大きく紹介しないといけないピッチャー、グース・ゴサージの写真をだしていないのが、残念!ホワイトソックスやカブスでも活躍した。


胸を躍らせながら、ドアを押すと、泣く子も黙る野球の神様、ベーブ・ルースと1939年から1960年までレッドソックスでプレーした最後の4割打者、テッド・ウイリアムスが目の前に出迎える。人物大の彫刻の人形がバッティングしている。アーモンド・ラモンタンというアーティストが博物館に寄付した作品。主人がチケットを買っている間、息子たちは、早速並んで憧れのルースと写真撮影。



私のお気に入りのテッド・ウイリアムスは、ちょっと似てないなあ。写真では、もっと細いイメージで、ハンサムだぞ!ウイリアムスが、1941年に4割6厘を打って以来、メジャーには4割以上を打った選手はでていない。よくイチローが4割を打てるかが焦点となるが、それほど大変な偉業だということだ。

先月、私がとっていたハーパー・カレッジの「アメリカ野球の歴史」のクラスで、テッド・ウイリアムスが1941年に4割達成したときの映像を見た。ディパルマ教授の話だと、シーズン終了前のダブルヘッダーで、3割9分9厘5毛と4割をきっていたので、回りから休むように勧められたというが、ウイリアムスは果敢に4割に挑戦したという。そして、見事8打数6安打で、4割にのせる。想像を絶するプレッシャーをはねのけて、偉業を達成したウイリアムス。ウイキペディアのテッド・ウイリアムスの項によるとなかなか頑固で、メディアとも折り合いがよくなかったという。しかし、映像のウイリアムスは、誠実で優しそうな雰囲気がただよっていた。気難しいという印象を与えるぐらいでないと打率4割というとてつもないことは、達成できないのかもしれない。



2階の「Cooperstown Room」で、博物館の設立の経緯や当時の試合の模様、使われていた道具などを見る。そして、係の人に促されて、191人収容の小さな映画館の部屋へ入る。



USセルラーフィールドを模したミニチュア版の球場の座席。この写真の部分が、スクリーンになる。天井には、ベーブ・ルースやジャッキー・ロビンソンらの歴代活躍した選手たちの顔写真が映し出される。「The Baseball Experience」というタイトルで13分間という駆け足でアメリカ野球の醍醐味を味わう。ときおり日本のプロ野球も垣間見たりして、(息子が「福本だ!」と叫んでいた。)なかなか面白かった。

~この項続く~また、この投稿にも情報や写真を追加しますので、みてみてください。

旅行からシカゴにもどるほっとした感覚~ロチェスターの空港から~その1

2008-08-06 | アメリカ生活雑感
先週の金曜日から5日間ほど旅行に出かけ、2時半頃ナイアガラをでて、火曜日の夜の10時にシカゴの自宅にもどってきた。

下の息子は、飛行機がオヘア空港に近づき、シカゴの大地が見えてきたら、「シカゴにもどってきたあ!」とほっとした表情で、外の景色をきょろきょろ。いつも日本との長時間におよぶ飛行機の往復では、そんなことは言わないのに・・・上の息子も同様。夏の旅行としては、いつもより短いが、私も旅行で英気を養い、なんだか自宅が広く感じる。

ニューヨーク州のロチェスターというローカルな場所へ飛んだのは、アメリカンの乗客54人乗り(1席と2席のみの座席が18列あるのみ)の小さな「リージョナル・エアプレイン」と呼ばれる飛行機だった。そのせいか、鳥のように「空を飛んでいる」という感覚が大きかったよう。飛ぶ瞬間もあっという間だし、着陸も早い。息子は、ふわふわした雲の上を抜けていく感覚を楽しみ、夕日が雲の下に沈んでいく瞬間を真剣に眺めていた。

「ロチェスターなんて、旅行する人いないよな。」と主人。でも、空港には、しっかり「ロチェスター」と書かれたティーシャツは売られていた。なんの変哲もない普通の田舎町。でも、私たちは、野球殿堂の博物館のあるクーパーズタウンとナイヤガラに行くのに、この町に2泊した。

最近読んだシカゴ・トリビューンのビジネスセクションの記事にユナイティッドなどの大手のエアラインが、海外も含むメジャーな都市へのフライトを減らして地方の小さな町へのフライトを増やしているということが書かれていた。ロチェスターからシカゴへもどるときも、空港のセキュリティが整然となされ、きちんとIDチェック。しげしげと主人と私のIDを見ながら、上の息子に「ドライバーズライセンスは?」とジョークをとばす。体内チェックの門くぐりもドアが閉められ、自動でエアを発して、しばらくじっとしていなければならないという厳重さ。アメリカ国内を旅行していて、こんなの初めてだ。

有名な大規模の空港で500人乗りのジャンボジェット機に乗るより、安心して小さなジェット機に乗り込む。かなり年配のしわが多い女性乗務員が、ロチェスターを飛び立つ前、心配そうにしていた下の息子に「この飛行機を運転するパイロットの腕は確かだから、飛んだかどうかもわからないほどよ!」と言い聞かせてくれた。

クーパーズタウンとナイヤガラを少しづつ紹介していこう! ~この項続く~

息子たちキャンプ終了!クーパーズタウンとナイアガラへ出発!

2008-08-02 | 教育一般
息子たちの充実したサマーキャンプは今日で終了!

下の息子は、バッファロー・グローブのパーク・ディストリクトの盛りだくさんの人気のスポーツ・キャンプで、さまざまなスポーツを楽しんだ。バスケット、ドッジボール、野球、キックベースボール、フットボールなどなど。初めてやるフットボールなどのスポーツにも挑戦し、その楽しさをアメリカ人と共に味わい、本当に楽しそうな2週間だった。

このキャンプは、フィールド・トリップも多く、先日紹介したシャンバーグ・フライヤーズの野球観戦、ウイーリングのアクアティック・センターやエルク・グローブのレインボーフォールなどの大きなウオーターパーク、ボーリング、スケートなど、なかなか親が連れて行けないような場所で、ベテランカウンセラーのアメリカ人のお兄ちゃんお姉ちゃんたちが、面倒を良く見てくれた。


同じキャンプをとった友達カイルと面倒見のいいベテランカウンセラーたちと

長年このスポーツキャンプの総責任者をやっているベンの話だと、安全面で、信頼のおけるカウンセラーを雇っていることを強調していた。ベンは、こちらの細かいリクエストをしっかりカウンセラーに伝えてくれ、何かあるとすぐに対処したり、即刻メールや電話で詳しく私の質問に答えてくれた。やはり、こういうキャンプのことを熟知しているしっかりした人が責任者だと、安心して長時間キャンプに子供を預けられる。他のアメリカ人の親たちも同じ気持ちだろうから、このスポーツキャンプが人気なのはうなずける。

息子は日本人1人で目立つせいか、みんなから名前をすぐ覚えられ、私が迎えにいくと、何も言わなくても、他の友達が息子を呼びにいってくれるほどだった。

キャンプに入る前、親たちへのオリエンテーションで、ちょっとしたからかいやいじめに対すして、どう対処するのか、プリントに列記されていた。上の息子が、5年前下の息子と同じ年に初めてこのキャンプに参加したときは、そういう注意書きはまったく配られなかったので、私は、びっくりして、かなり心配した。下の息子自身も、キャンプ前は、「アメリカ人の中で、大丈夫かな・・・」と自信なげに心配していた。しかし、その心配も初日楽しく過ごしたことで、吹き飛んだ。もって行くランチボックスの中身もご飯をいやがるかと思ったら、日本人学校に持っていくのと同じような中身のご飯やおにぎりを持っていって、毎日たいらげていた。

息子は、プリスクール時代に仲の良かったカイルと同じグループで、交流が復活。お互い思い出したようで、カイルの方から、家で遊びたいと積極的に言われ、久し振りにうちでプレイデート。なんだかとてもなつかしい響きの言葉だ。来週、旅行から帰ってきたら、また遊ぶ約束をする。

さて、上の息子は、今週はアーリントン・レイクで、セーリング三昧。日本人学校の仲良しの友達も一緒なので、かなり楽しかったようだ。息子は、このキャンプも2回目なので、セーリングの腕は上達しただろう。日本に帰れば、こんなに気軽にセールングなんて連れて行けないから、8月はまた自分達でセーリングをしに来よう。このキャンプを取った子供たちは、アーリントン・レイクで、親が見ていれば、自分達でヨットをレンタルしてできる。さほどレンタル料も高くない。ありとあらゆるスポーツが気軽にできる国、アメリカ。この国に駐在できたことに感謝、感謝。

今日は夜のフライトで、ニューヨーク州のロチェスターに飛び、明日野球少年の憧れの地、クーパーズタウンで、野球殿堂博物館を訪れる。次の日は、ナイヤガラへ。ロチェスターは、観光は何もないところだが、ちょうどこの2つの場所の中間地点に位置するらしいと主人が言う。みんなも今頃さまざまな場所に旅行に出かけていることだろう。毎年、8月は旅行を満喫する月ですね!後からまた写真をこの投稿に入れるので、チェックしてみてください。