コトバンクによるとこの村上源氏久我流
(1) 村上源氏久我流 鎌倉時代初期,久我内大臣雅通の2子通資の子雅親が唐橋を称した。その弟通時も唐橋を号したが,子孫は数代で絶えた。
ただ、加賀の前田家に仕えていた九里が大事にされたのが菅原氏と関係があったからだったかもしれないので、唐橋氏も菅原氏の系かもしれないとは思う。が、時代が合わない。
姓氏家系大辞典に出ていて、「大中臣氏」に唐橋と称していた人物がいた事の記載がある。
また、佐々木氏も年代は親光や親厳が名乗っていた時よりも後である。が、可能性はありそうな・・・泰綱の息長綱から…という処が気にはなるが、中原親光や親厳とのつながりから名乗り始めた、とも考えられるかも。