佐々氏の系図を見ていて、佐々成政の姉が良峯姓に嫁いでいるため気になっていた所、
邇波様よりコメントをいただき、調べてみることにした。
http://www.maibun.com/DownDate/PDFdate/1460.pdf
古代のページ(表紙から数えて12ページ目、pdfのSec1:6)
邇波県主 が登場してくる。
https://www.town.oguchi.lg.jp/secure/12186/2_1_5_rituryo.pdf
2ページ目の中ごろに 爾波氏、大県神社、青塚古墳 の言及がなされ、次に 前利(さきと)氏・前野氏のことにもふれている。
蛇足→(久利氏が(くりと)と【利】を読む可能性もあるわけだ。)
そことは別に、良峯氏が太田亮の「尾張」では多臣族とあったことがわかり、更に今回気になったのは、原高春の【春】は、ひょっとすると、片岡常春・経春の【春】で、何処かでつながりがあったのではないだろうか?
そのつながりとは、たぶん上総広常なのだろうと思う。
そして、佐竹氏を裏切った上総広常、上総を裏切った頼朝、頼朝を嫌った片岡常春(経春)となるのではないだろうか。
さて、この片岡常春が、鹿島神宮の片岡に居住していた人であり、大中臣氏ともつながりがあったとすると、多臣族であった可能性が大である。