尾張員職は何度かこのブログにも登場している。
源頼朝の母方祖父に当たる。
同じ尾張氏の貞親は中原氏に養子に入ってきている人物である。
員職と貞親とは別系なのかもしれない。
貞親の実父は尾張秋時である。↓
熱田神宮社と源頼朝(頼朝の母となった由良御前の母は熱田神宮の 尾張員職娘 )と中原(大江・清原)氏とも小野氏ともつながりができてた。
中原師任の養子
- 男子:中原貞親 - 実は尾張秋時の子
-貞親-廣宗-廣忠-忠順-師茂-師員-師連-親致 と評定衆の系となっているようだ。(国史大系第60巻)
尾張氏は田島氏・馬場氏・千秋氏と称して、その馬場氏の員仲の妹が中島氏に嫁いでいる。(中世熱田社の構造と展開 藤本元著作)
以下では中嶋宣長か、もしかすると、もう一世代か二世代後の人かもしれないと思う。
父の成仲が1299年迄も生きているようで、員仲も1300年代にまだ生きている。その員仲の妹なので、
建武二年(1335年)に歿したことがわかり、1283年生まれとわかった。
中嶋宣長は、承久の変に宮方となっていたとあるので、1200年前後生まれと思われる。
つまり馬場員仲の妹は中島宣長の子孫に嫁いだことになると思う。
同じ尾張国でもあり、宣長の後裔は在庁官人でもあったようなので、両方にとって益のある繋がりであったのだろう。