野田氏は諸家系図纂の中の「稲葉・伴・大伴氏」の中に入っている。
172ページの系譜を昨日見ていたが、見つけられないでいる。
が、南部氏の系図の中に野田氏の記載を見つけた。
南部氏とつながっている「野田氏」
河野氏・稲葉氏と近い「野田氏」などがいる。
南部氏を調べたことはないと思うのだが、加賀美遠光の三男が南部光行であり、遠光の母は佐竹義業の娘である。
父は源義清、養父は遠光の兄である源清光であった。
源義清の父は「新羅三郎義光」であり、ここと佐々木氏と繋がってくる。
佐々木季定(為俊)の妻は、新羅三郎の娘とある。(季定の註に 式部大丞 従五位下 近江国追捕使 源二大夫」(『古代氏族系譜集成』による)
更に加賀美遠光の妻には、杉本義宗の娘であり和田義盛の妹であるひとが嫁いでいる。
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次から詳細を書く予定だが
佐竹、と絡み、佐原義連、武田信光とつながり、実明の孫とつながってくるような気がしている。
見つけたばかりのことなので、頭は混乱している。
今回、南部氏が甲斐国南部牧(現在の山梨県南巨摩郡南部町)の南部であることを知った。
今まで「南部せんべい」の「南部」で、東北のことと思っていたので、そのあたりからして、勘違いをしていた!
加賀美遠光の娘が、源実朝の乳母であった大弐局であり、富木常忍の母親も実朝の乳母であった可能性がある事からもこの周辺を掘り下げたいと思う。大弐局の兄弟に南部光行がいた事になるので、野田氏は意外と近いかもしれない。
また、南部氏の系図を見ていくと、中原氏の妻をもらっていることが何度かあり、是も大弐局が乳母であったことと関連してくると思っている。
まだ見つけたばかりなのでどう展開していくかはわからないが、この南部氏の野田氏が日野庄にきた野田氏であるかもしれないと思っている。
南部実長も、実は日蓮と関係の深い波木井実長のことである!と今しがた知った。