https://ameblo.jp/ufjtmb26/entry-12165663185.html
多氏の出自について(2)にとても為になる記事があったので、ココにコピーさせていただこうと思う。
お借りします。(省略している部分があります。)
阿部氏は大嘗祭で、対外交渉に従事した渡来系氏族であった吉士集団を率いて「吉志舞」を奏上している。
阿部氏が吉士集団を統括して海外交渉に関与した。
吉士集団の本拠は難波にあったが、大阪市に「阿部野」の地名があるように、阿部氏も難波に拠点を有していた。
阿部氏には、布施、引田、長田、久努、狛、許曾部などの複姓氏族があるが、天武朝には、阿部布施氏が阿部氏の本宗家となったが、この阿部布施氏の本拠は、阿倍野の近くの布施であり、ここからも、阿部氏は難波に拠点を有していたと考えられる。
***
私が今まで知っていたのは以下である。
布施氏は三善氏と繋がる 長田氏は九里氏とつながる 狛氏は江州中原とつながる
阿部氏は三上氏とつながっていたように思う。
その三上氏は近江の御上神社とつながりがあり、そこには物部(中原・清原も?)が養子縁組をしたりしている。「清高」が清原の庶流とすると縁組があった。
御上神社の祝家。神主家は源頼義の孫の盛実が三上新大夫を称することから始まり、武家の三上氏は佐々木氏族の後裔を称すが、いずれも本来は御上祝の後裔か。
御上神社の神は金工鍛冶の祖神で鍛冶集団の三上氏は武蔵国高麗郡、甲斐国をはじめ全国に分かれる。
特に甲斐国の三上氏は南部氏に従って陸奥国に転じて最も繁栄した。
国立国会図書館のデジタルで「御上神社沿革考 : 近江国野洲郡三上村鎮座」
読むことができる。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/816099
榧の木を切って社殿、玉垣を造立…とあり、「榧野内十文字」は、隠れキリシタン説もあったが、御上神社の中がルーツか?とも思った。
更に海雄十六世孫の「海雄」とは、清原海雄のことではないだろうか?
仁平二四年 御上姓を源姓にあらたむとあるのだが、仁平は四年(1154年)までである。
従三位 胤盛とある。 妹が近江局(堀河院女蔵人、とある)
***
南部鉄は、三上氏が鉄の扱いを伝えたのかもしれないと思うと、面白い。
***
NHKで昨夜から「古代研究」折口信夫が始まった。(100分で名著)
https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/blog/bl/pEwB9LAbAN/bp/pxwKERprkx/
解説がわかりやすく、しかもそのなかにグッとくる言葉があり惹き込まれた。是非録画しておきたい番組!
上野誠先生の著作を何か買おうと思った次第!!