系図を見ると祐隆の父は「定康」祖父は「定滋」となっている。
では、石見守となっていた定隆は??
そして祐安(有安)は『中原師元子』とある。
上のアドレスより、関係部分を貼らせていただく。
下記の系図の三代略の部分は
定滋ー定康ー祐隆である。
そして、教隆は金沢文庫の設立に貢献する。
コトバンクによると
「1199-1265 鎌倉時代の儒者。
正治(しょうじ)元年生まれ。清原頼業(よりなり)の孫。家学の明経(みょうぎょう)道をつぐ。鎌倉幕府につかえ,将軍九条頼嗣(よりつぐ),宗尊(むねたか)親王の侍講となる。金沢実時(さねとき)をみちびき,実時が金沢文庫を創設するうえで影響をあたえた。晩年京都にかえり,大外記(だいげき)となる。文永2年7月18日死去。67歳。初名は仲光。 」
正治(しょうじ)元年生まれ。清原頼業(よりなり)の孫。家学の明経(みょうぎょう)道をつぐ。鎌倉幕府につかえ,将軍九条頼嗣(よりつぐ),宗尊(むねたか)親王の侍講となる。金沢実時(さねとき)をみちびき,実時が金沢文庫を創設するうえで影響をあたえた。晩年京都にかえり,大外記(だいげき)となる。文永2年7月18日死去。67歳。初名は仲光。 」
以前調べた箇所にも繋がってくる。
もうすぐ金沢文庫へ行く予定。どうか地震、起きないで欲しい!!
清原教隆様に守って欲しい!