大舘 と 九里
大舘喜左衛門熊谷牛彌。見テ持立退ト語ル九里主稅.野木内記ヲカケ。敵大勢•申刻日亥下刻デ四人シテ火花散合戦ス跡見御首トシキ物不見。御死骸計也。御•マサズ越後国頸城郡西郷ノ内浦本善能寺ニシ御自害有事。人間行末不知事也。昔モ今定人前二成り後二 ...
山科家礼記 第6巻 ↑ 山田六郎左右衛門 九里十左右衛門
二人ともに「左右衛門尉」となっているが....? ↓
武家名目抄 には、以下のようになっていて、山田ではなく、山内六郎左衛門尉 九里十左衛門尉が 御門役となっている。
こちらの山内の方が私的にはしっくりとくる。
佐々木哲氏の系譜伝承論では、以下のように 九里が「十左衛門尉」ではなく、「十郎左衛門尉」となっている。
... 山内 179 , 180 山内丹後入道 180 39 , 74 , 75 , 102 , 104 , 106 , 109 , 117 , 121 , 123 , 160 , 161 , 179 山内政綱(六角政綱) 208 六角氏頼(判官、近江守)山内六郎左衛門尉 174 , 180 63 , 77 , 78 , 125 山岡 88 六角定頼(承亀、弹正少弼) 31.
2021年に記事にしていた山内氏との関係があるかもしれない。
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/e69d0de0ce9f61b3b796415085a35799
山内宮內大輔政綱 山内小三郎就網 山内三郎右衛門 山內隆通
https://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd0650003.pdf
この山内氏、六角氏の家臣と思っていたのだが、六角判官氏頼の弟の定詮の系ではないかと思う。
佐々木五郎右衛門尉(山内定詮)は、幼少の近江守護佐々木(六角)千手の代官として、実際には自身守護の職務に当たっている人物
この定詮に続く系ではないだろうか?
(と思ったのだが、六郎…というキーワードで調べると『山内首藤』の山内氏となる。
山内六郎=山内兵庫允俊宗の息 と出てくる。)
が、
もう一人 宇多天皇から始まり、佐々木秀義ー三郎左衛門尉盛綱ー…と続く『蓮池氏』=宝池氏(ほうち・ し)の中に山内六郎光詮を見つけた。
つまり、氏頼の弟の系が続いていたことになる。
下記のアドレスの山内氏と【土田氏】【建部氏】とのつながり、
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/toki/ikoma1.htm
また【山内一豊室の見性院(遠藤慶隆妹)】と【遠藤氏】とのつながり、
https://userweb.mmtr.or.jp/asashikawakami/newpage1364.htm
また、其の【山内氏】と【前野氏】のつながり、等々、山内氏の周辺は様々に考えられ、とても手強い。
特に、前野時之の父は山内実通だが、その養父の前野時氏=坪内忠勝で、其の忠勝の実父は前野氏である。忠勝の妻は山内実豊の娘であり、山内実通の妹である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E9%87%8E%E6%99%82%E4%B9%8B
因みに柏原藩の九里に養子として入っている佐々氏の先祖は前野吉康の系で、遡ると実父が前野宗康で、養父が坪内忠勝(前野時氏)なのである。
忠勝の妻は山内実豊の娘。
この実豊 ー 実通 ー 盛豊 ― 一豊 となりそうである。
つまり、どちらの山内氏ともご縁のある九里氏であることがわかった。