蚕を糸にして、機織りをしなくては布にならない。
コトバンクによると「神服部氏」は、
〘名〙 (「かむはとり」とも表記) 伊勢神宮に属して神の御衣を織る者。
※書紀(720)天武一三年一二月(北野本室町時代訓)「大伴連(むらし)〈略〉神服部(カンハトリの)連〈略〉布留(ふるの)連、五十氏に姓を賜ひて宿禰と曰ふ」
東京大学史料編纂所のDBで神服部氏を探したが、天平の記述のあとは江戸時代になってしまう。
【神服部虫女之家】とある。この【虫】とは、蚕のことだろうと思う。
そこで思い出したのが、私が古代に目覚めたきっかけでもある
田中昭三著書【「記・紀」「大和志」の片塩の都・浮孔の宮考】である。
この中に、石園坐多久虫玉神社が登場する。
これは、「いわそのにいますたくむしたまじんじゃ」というそうなのだが、
私は「多久虫玉」を一緒にせずに、石園坐 多久 虫玉 神社 と分解する。
この虫玉こそが、繭のことであろうと思う。
一説では多久豆玉、多久頭玉、の誤記であろうとも言われているのだが、ココは秦氏にも関係する神社であり、この場所で秦氏と賀茂氏が繋がるような伝承がある。
しばし、ココに重点を置いて調べてみたくなった今朝である。