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中原景安 (2) 左近将監に任ぜられ、大中臣景康という記述もあるが…?

2022-08-02 | 中原氏バラバラ情報

中原有安の養子と云われている【中原景安】は多氏の養子となり楽統を継いだ。

 

下記のアドレスの論文に 中原景康かと思われる人物が【大中臣景康】として、またその息と思われる【友景】が【大中臣友景】として記載があることがわかった。さらに光氏も【大中臣光氏】が東大寺文書に見える散在田地・畠地・家地など一覧の中にいる。

 

一体どういうことなのか、探ってみることにする。

 

1196年 右近将監 大中臣景康 伊勢神宮遷宮用塗料を進納するも病のため不仕たるにより季遠に功を譲るにより右近将監に任ず。『大間』第七「所々奏」

 

1226年 中原景康 関東に下向し、鎌倉一者となる。後、左近将監に任ず。『楽所』

1231年 大中臣友景 在:春除目において右近将監より左近将監に転任する。『民経』寛喜 3 ・ 2 ・ 5 )

 

近衛府下級官人補任稿 ―将監― 西山史郎 著 

https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DB/0048/DB00480R199.pdf

 

ところが、良く調べてみると同時期に名前が同じ人物がいたとも考えられる

 

 

つまり、可能性としては一人は大中臣友景となり、一人はそのまま京の防鴨河判官として活躍していた、とも読める。

文書の判別は難しいが、盗賊を捕まえたのも中原友景のほうで、楽士のほうの友景ではなかった可能性がある。

 

【大中臣景康】が元は中原景康で、多氏に養子に入ったことで大中臣になったのではなかろうか?と思っている。

 

(此処は慎重に深堀する必要がある。)

 

 

久経の情報 ↓

https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/16203/p123.pdf


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