こちらには前野氏と山内氏の関係についての系図があった。
http://www.homenews.jp/bukouyowa/bukouyowa_no41.htm
「尾張黒田城主山内盛豊の妻は犬山羽黒城主梶原氏娘、法秀院(ほうしゅういん)で一豊の母。
前野氏十代時正の妻は梶原景綱娘で山内盛豊の妻(法秀院)の父の叔母にあたる。
前野将右衛門長康の伯父忠勝(松倉城主)の妻は一豊の父山内盛豊妹(叔母) であり、山内一豊は義理の伯父前野忠勝で、長康も血縁のある従弟のようで慕っていた。
一豊の父が浮野合戦で討死したときは十四才で叔母の松倉城主忠勝の妻を頼り、忠勝・長康に預けられた。成人して墨俣、稲葉山戦に、木下藤吉郎、 蜂須賀小六、前野長康と共に参戦して戦功を挙げて、信長、秀吉、家康に仕え 長浜城主、掛川城主、その後関ヶ原戦の功で、家康より四国土佐高知城二十四万石を与えられた。」
前野忠勝・長康
佐々宗淳の系は勝長(直勝)なので、
その勝長から見ると忠勝は叔父、長康は兄である。
山内一豊と親戚であったことがわかった。