九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

中原重清 中原資清  中原賢清 

2018-12-09 | 中原氏バラバラ情報

中原能兼を調べていて「中原資清」にであった。1099年に「勘文」を書いた人物であるが、この資清は前回の当ブログ記事の中原範政と相論している。下記アドレスの9頁 「研究ノート 南出真助」

https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20181208104355.pdf?id=ART0009828203

明法博士中原資清勘文 http://hyakugo.kyoto.jp/contents/detail.php?id=3

もう一つ読んでおかなくては。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/624/624PDF/katuyama.pdf

その資清の後だろう、1142年康治元年二月(源行真申詞記の事件の時あたり)京にいた「中原重清」これは、
国史大系: 本朝世紀(藤原通憲). 第8巻 397頁にある。
事件のことはざっと見た限りでは触れられていない。

中原重清は二度ほど出てくる。

その後に名前からすると「賢清」が来そうなのだが、資料は見当たらない。

なぜか1288年正応元年にも中原重清が文書の中(兼仲卿記正応元年五月十六日条)に登場する。(別人)

この賢清は「佛名」かも知れないが、そうならば系図に記載があるだろうと思うので、「重清・資清・賢清」の仲間に入れてみた。

そしてどこからか中原能兼の同族らしくなるはずである。
中原親能・中原兼遠・中原…比企能本の息という事も考えられるか??(もし息がいればだが)


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中原能兼 中原範経 中原範... | トップ | 佐々木高綱周辺と富木蓮忍 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
川越の文化財に (自閑)
2019-01-06 17:31:23
ご依頼の本はもう少しお待ち下さい。
川越の図書館に川越の文化財と言う季刊紙があり、比企一族の投稿があり、能本の事が書いて有りました。
来週は、東松山や小川町を散策します。
比企一族に仙覚と言う僧侶がいて、万葉集の世界ではとても有名な者です。何か他に調べて欲しいものがあればお申し付け下さい。
同じ東武線ですし。
源具親の奥さんも比企一族ですので。
返信する
お心遣いありがとうございます。 (kunorikunori)
2019-01-06 19:12:05
自閑さま

比企氏の生き残りは「能本」だけと思っていました。
その仙覚さんは1203年位の生まれとか。とすれば比企の乱と同じ時期ですね。
その仙覚さん「寛元4年(1246年)、鎌倉将軍藤原頼経の命により万葉集諸本の校合に着手する。」とあるという事は、その周辺の人たちは比企氏の生き残りと認識していたのでしょうね。

仙覚さんの「北方麻師宇郷」のことを!何かヒントが転がっていないでしょうか?
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

中原氏バラバラ情報」カテゴリの最新記事