以前にも記事にしていたように思うが、
京極高次の分限帳
岡田清左衛門 三百石
九里次郎兵衛 八十石 まだ若かったのではないかと思う。
更に今回加える情報は
佐々氏と岡田氏の婚姻関係である。
「甚助」の名は知らないが、岡田氏と佐々・前野氏は繋がっている。
そして、佐々氏と早川氏は繋がっている。
さらに、岡田氏と小堀氏も同僚として働いている様子が見える。
(小堀正十・妻木頼利・岡田義政)義政は善政とも書く。
小堀正十は政一の甥であり、岡田義政は善同の息である。
この善同の系は徳川家に仕えているようである。
善同の祖父重頼の兄の系が重忠(見桃斉または堅桃斉)となり、
その息が月庭斎、その息が重綱となって行くのである。
この重綱の系は織田信雄の近臣として仕えている。
この重綱の系と、政直の「岡田」との関係があるのかどうか?が重要と思われるのだが、
後に九里に佐々修政が養子に入り、その息に「岡田嘉膳=政敬」が入ってきていることからも、同じ柏原藩のこの岡田氏と関係があると私は見ている。
次郎兵衛から八郎右衛門とは、名前に開きがあるが…
佐々九郎兵衛は(佐々木哲氏のメルマガによると)、佐々(津川)義勝であり、武田元明の子であるそうだ。
とすれば、普通の佐々・前野氏の「佐々氏」とは別の系となると思われる。
そうなのだが、九里次郎兵衛とは接点があるのだ。
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気にかかっていることは京極佐々木氏の中の「岡田氏」である。
その岡田氏は「岡田秀隆」から始まり、「重綱」までの系図となっていて、
この柏原織田家臣系譜の岡田氏で、九里とかかわりのある系も「重綱」から始まっている。
年代はあうだろうか?
同じ「重綱」なのだろうか?
どうしてこの岡田氏と京極佐々木氏の「重綱」が…
同じ名前があったからと、簡単につなげてしまったのではないだろうか?
などなど疑問の渦である。
お互い近くにいていい所を補いあっていると言ってもいいですね。自然重視か人間重視かの立ち位置での特性の違いのようにも思います。お互い独立し合っているならば共存は出来ますね。女性が絡むとそうはいかなくなるんでしょう。7646
お互い自分の領域をキープして相手の領域を侵食しないならば良い関係でいられると思います。
山と川(水)
どちらも日本にとって大事な場所ですね。
そういえば、戦国時代の九里氏は水運と関連しています。古い九里氏は鍛冶に関連していると思います。(水も大事・山の資源も大事)
鎌倉時代後期は、山伏になった人が数代いて、白山・般童寺・熊野など山を持ち場としていたように思えます。
同じ九里の中でも、山と川(湖)がいたようです。
岡田は、これから調べていきます!
情報収集中です~!